1889年、フランス革命100周年に開催されたパリ万博に建てられたエッフェル塔。当時この「鉄の塔」はパリの美観を損ねるとして文化人、芸術家を中心にした猛烈な反対運動が起こったといいます。
そんな逆境の中、 多くの著名人たちの反対を押し切ってこの塔を設計、建設したのは技師ギュスターヴ・エッフェル。
エッフェル氏が作ったこのエッフェル塔は、当初20年の期限付きの建物として建てられました。つまり1909年に取り壊されることになっていたのですが、世界最高の300mの高さが、当時発明された無線通信に有効であることがわかり、解体を免れたといいます。ちなみにエッフェル塔は1916年に大西洋横断無線電話を世界で初めて成功させたといいます。
エッフェル塔のフォルムは無駄がありません。シンプルで合理的な鉄の骨組みは見事な構造美となってエッフェル塔の佇まいを演出しています。全体的には魚の肋骨や飛行機の翼断面のような心地よいふたつの曲線が「人」の字のように寄り添い、 展望台の位置は黄金比に沿って配置されています。全体のフォルムの隙間を細かく繊細に細い鉄骨がレース編みのように張り巡らされ、細部に配置される遠慮がちな装飾も合わさって、エッフェル塔はひとつの美術品として存在しているのです。
1889年の建設当時は古き良き伝統と格式の街並みを壊すと考えられたエッフェル塔でしたが、単なる鉄の塔ではないそのデザイン性の高さも徐々に認められることになる。だから無線通信の成功だけでなく、新しいパリを望む人たちの期待に応える新しいパリのモニュメントになって100年以上もパリの街を見守り続けているのです。
さて、エッフェル塔には3つの展望台があってエレベータで上ることができる。
僕は過去に2回だけエッフェル塔に登ったことがあるのですが、毎回階段で一番下の展望台までにしか行ったことがない。建物の高さ規制があるパリなので、一番下でも十分パリの街を見渡すことができるのです。いつか一度はてっぺんの展望台からパリの街を眺めてみたいなあ。
階段でのんびりと上へ、エッフェル塔の鉄骨の構造をじっくり見つめ、その向こうの少しずつ低くなるパリの景色を眺めながら、登っていくのはエレベータでは味わえない楽しみです。
エッフェル塔からパリの街を眺めます。
上から見る街の表情は街によってそれぞれ色の特徴があります。イタリアの街はくすんだオレンジ、南ドイツの街は鮮やかなオレンジ、ロンドンは灰色、そしてこのパリの街を上から見ると「白」ですね。
セーヌの対岸にはシャイヨー宮、その向こうにはラ・デファンスビル群とグラン・ダルシュ(新凱旋門)が見える。
この弓のような形のシャイヨー宮は僕にとってのパリの中での憩いの場所となっていました。
建設時には猛反対され、1909年には取り壊されるはずだったエッフェル塔。今では「エッフェル塔なきパリは存在しない」と言われるほど、世界的に有名なパリの象徴になりました。
次はシャイヨー宮からのんびりとエッフェル塔を眺めてみたいとおもいます。