パリ・リヨン駅から夜行に乗ってシャモニへ向かいます。
僕は夜行列車に乗るときにはいつも通路側の窓から顔を出して列車の出発を待ちます。列車に乗り込み自分のコンパートメントに荷物を入れたあと、毎回儀式のようにそうしてるんです。この出発までの駅や列車の雰囲気というのがとても好きなんです。
この時はリヨン行きの列車で、とりわけ僕の車両周辺は中学生位の修学旅行(?)の子供達が満載でとても騒々しかった。ホームには子供の親たちが見送りに来ていたのだけど、その大半の親たちがとても心配そうな表情を浮かべている。一方まるで対照的に、こちら(列車内)にいる大半の子供達は親たちの心配などお構いなしにはしゃぎまくっているのでした。でも中には親元を離れることがつらいのか泣いている子もごく少数いて、その親子を眺めていると修学旅行の出発がまるで映画のワンシーンのように見えるからパリという街は不思議です。
ヨーロッパの鉄道は日本のように発車のベルやアナウンスはありません。なんの前触れもなく列車はゆっくり動き出したかと思うと、ホームをぐんぐん置き去りにして、見送りに来ていた親たちはあっという間に小さく見えなくなってしまった。
パリ・リヨン駅の灯りがどんどん小さく、そしてパリの灯りも遠くなっていくと、やがて列車は街を抜け、街灯も街の明かりも見えない暗がりを走っていくのでした。
この日の僕のコンパートメントの同居人は修学旅行の子供が2人(外ではしゃいでほとんど中に入ってこない)と、たぶん80歳位のおじいさんが一人いた。眼鏡をかけた気さくなそのおじいさんは僕にとても人懐っこい笑顔で、フランス語で話しかけてきた。しかし、僕がフランス語を話せないことを知ると、一生懸命片言の英語で話そうとしてくれた。僕も負けじと片言(と言うのすらおこがましいレベル)のフランス語と英語でコミュニケーションをはかった。
パリに住んでいるそのおじいさんは一人で夜行に乗ってパリからシャモニのさらに向こうの街まで行くという。あの歳で僕と同じくらいの荷物を背負って夜行列車で旅行なんて、僕も老後はこうありたいと思う、しゃべりも行動もとても元気な人でした。その時、おじいさんがもともとポーランドの人で第2次世界大戦中にフランスに亡命してきたこと。明日はシャモニまでは一緒であることを教えてくれた。
おじいさんに僕自身についてもいくつかのことを説明したけれど、どこまで伝わっていたかは判らない。長いこと、でもゆっくりと会話をしたあとに、明日に備えてごとごと揺れるせまいベッドの上に入りました。コンパートメントの外では夜が更けるまで修学旅行の子供達の笑い声が響いていました。
次の朝起きると、列車はフランス・アルプスの山々にだいぶ近づいていました。天気は快晴。とてもさわやかな朝でした。風は涼しく、空気はきれいで、朝日がやさしい。今までの夜行列車での目覚めの中で一番、すがすがしい朝だったと思う。
*夜行列車の朝の通路の様子。赤ちゃん可愛い。
朝起きて窓から外を眺めている僕に、おじいさんは「これがモンブランの山々だよ」とひとつひとつの山の名前を教えてくれた。
そうこうしているうちに、ローカル線に乗り換えるサンジェルベの駅に到着。ホームの向かいにはシャモニへ向かうおもちゃのような電車が待っている。
乗り換えるのに荷物のまとめに苦戦していた僕は、すっかり出遅れておじいさんにも置いて行かれてしまった。お別れの挨拶したかったなあ。。。
と思ってホームに降りると、隣で出発を待っている電車の窓から身を乗り出し、おじいさんが僕をみつけて「こっちだ、こっちだ」と手招きして呼んでくれている!僕は列車に乗り込むとおじいさんの方へ満員の車両の中を進んでいく。するとおじいさんはちゃんと僕の席を確保していてくれた。しかも、山がよく見える側の席を、そして窓際席を。
そして電車が出発してモンブラン山群が更に近づくと、おじいさんはモンブランを取り巻く山々の名前をもう一度教えてくれた。おじいさんは友達が住んでいるシャモニのさらに奥の村へ毎年出かけるそうで、この大好きなモンブラン周辺の自然を、本当に一生懸命教えてくれた。このおじいさんは心の底からこの山々とこの辺の村が好きなんだな。
シャモニに近づき、僕は降りる準備をする。僕は初めてのシャモニへ、おじいさんはきっと何十回と来ているその先の村へ向かう。
僕は日本語、英語、フランス語で、これまでお世話になったお礼を気持ちに乗せて言いました(つまり、arigatou、thank you、merciを感謝のジェスチャー交えて丁寧に)。最後にフランス語の話せない僕が"Bon voyage!"と、英語の話せないおじいさんは"Good luck!"といって別れたのでした。
初めてのシャモニ=モンブラン到着。そのとても爽やかな朝以上のとても貴重な出来事と一緒に到着しました。
P.S. 振り返ると、語学を、少なくとも英語くらいは日常会話に不自由しないくらいに勉強しておかないと、いろいろな意味で損をするということを、毎度旅行する度に、いつも思い知らされます。で、毎回帰りの飛行機の中では"今年こそせめて英語をモノにするぞ"と意気込むのだけど、旅行から帰るとできず(いろいろ理由を付けて結局やらず)、また次の年の旅行で後悔する。そりゃ少しずつは上達するのだけど、ペラペラコミュニケーションするに至らず。。
これを結局10年以上繰り返してしまった。我ながら情けない。。。
cmn.hatenablog.com
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