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旅行の記憶と何気ない日常を

ドイツの小話 〜ドイツ人と日本人

ある年イタリアのヴェネツィアからミュンヘンへの夜行列車での話。

僕の入った6人用コンパートメントは、ヴェネツィア観光帰りのドイツ人のおばあちゃん達4人グループと一緒でした。

乗り合わせたこのドイツのおばあちゃんたち、列車に乗り込むのもベッドに上がるのも一苦労するほどのかなりのお年寄りたち。出発地であるヴェネツィアといえば運河に掛かる橋が多くて、段差と階段だらけの場所。そこでこのおばあちゃんたちが一体どうやって過ごしていたのか、とても気になります。

さて、同じく乗り合わせた、もう一人の旅行者はミュンヘン在住。

列車が出発してから寝るまでの間、ミュンヘン在住のその方にいろいろとドイツの、またドイツ人の話を聞けた。

それによれば第2次大戦世代のお年寄りとその後の世代では同じドイツ人でもまったく気質が違うそうだ。

考えてみれば、第2次世界大戦時のドイツといえば、ナチスが支配した時代。戦前戦後で別の国に変わってしまうほどの変化をした訳で、とうぜん教育だって全然変わってしまったでしょう。育った環境が違えば、気質も変わるのは当然です。

ではどう違うのか。 

ナチス・ドイツの下、子供時代をすごしたお年よりたちは、いまだに昔の名残が消えないそうです。その特徴のひとつとしてしきりに強調していたのは、お年寄りたちの夜寝るのが早いこと。その傾向は戦前、戦後世代でびっくりするほどくっきりしているらしい。そしてさらに、その眠りを妨げるものがいようものなら、毅然とした態度で臨む。

具体的には戦前育ちのお年寄りが寝ている家の近くで夜にちょっとでも騒ごうものなら、あっという間に警察を呼ばれるというのです。だから、同じコンパートメントのおばあちゃんたちもきっとおっかないからおとなしくしていたほうが良いと。

今ひとつナチスドイツ時代に生きた証と、早く寝ることの関係はよくわからなかったけど、寝るのが早いのは間違いありませんでした。同じコンパートメントのおばあちゃんたちは列車に乗り込んですぐに、なんと列車がまだヴェネツィア・サンタルチア駅のホームを出発する前から早々と寝てしまっていたのだから。

 

ドイツ人と日本人は何となく似てる。 

近代になって、ともに世界に無謀な戦争を仕掛けて、迷惑かけて、負けて。

でも戦争に負けた後に勤勉な国民性と手先の器用さを駆使して産業を発展させ経済発展を遂げたという似たような境遇を持っている。

ドイツは東西分断という悲劇を乗り越えてEUの中枢国となった。日本は空前の経済発展を背景に迷惑かけた周辺のアジアの国々への援助を続けながら世界のトップの多くに日本企業が名を連ね、made in Japanの製品やサービスが世界を席巻する国になった。そういう部分は日本も捨てたもんじゃなかった。

 

でも、この頃の多くの日本人は浮かれて、自分たちを勘違いしていた。国の発展に人の成熟がついて来なかった。

バブルはじけた後の当時の僕の実体験として、海外で出会う象徴的な日本人像は、免税店や高級ブランドの店でバブルの名残をチラつかせて高級品を買い漁る姿。質の高い美術品や建築に対して「見た」「来た」だけを求め満足して去っていく日本人。そこに敬意は感じられない。

ヨーロッパを旅行していると日本(日本人)って情けない、恥ずかしいと思うことが多々あった。

何かのガイドで読んだ。「街中で歓声を上げている集団がいたら、それはドイツ人か日本人だ」。実は似たような国民性をもったドイツと日本だけど、国としての成熟度はずいぶん差をつけられたなあ。と当時よく思ったものだ。

あれからずいぶん時間が経って、「失われた30年」を経た日本は国も人もずいぶん変わったと思う。技術立国や世界を圧倒する経済力のプライドをへし折られたおかげで、バブルに浮かれたノーテンキな国から、堅実な国へ、自国文化を大切にする国へと変わってこれたように感じる。あの時感じたドイツとの差は少しは縮まったかな。

 

ドイツの街は、何か落ち着くのです。

ドイツに入るとその景色、街並みが見えるとすぐにわかる。フランスやベルギーから入る時も、スイスから入る時も、イタリアから入る時もいつも、ドイツに入った瞬間、安心するんです。なぜだろう?

ドイツ人と日本人は何となく似てる。

似たような国民性を持っている分、街の造りにどことなく共通点が散りばめられるのだろうか。その理由はいまだにはっきりしないのだけど、ドイツに入って感じたあの不思議な安心感は今でもはっきり思い出せる。

 

 

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