メトロ4号線シテ駅からは裁判所の横を歩いて徒歩1分程度の位置にコンシェルジュリー(La Conciergerie)があります。
元々は10世紀にシテ宮(Palais de Cite)と呼ばれる王宮として誕生したのだけど、14世期以降、20世紀初頭までの600年ほどを牢獄として使用されました。特にフランス革命では、マリー・アントワネットはじめ、1年6ヶ月の間に2600人もの人々が捕らえられてここに収監され、死刑執行に送られるまで過ごしたといいます。そのためコンシェルジュリーは別名「ギロチン控えの間」と呼ばれていた。
そんな過去が嘘のように今では周囲の裁判所や警察庁の一部として機能し、またマリーアントワネットが人生最後を過ごした独房は一般公開されているらしい。
下はポンヌフの方から眺めるコンシェルジュリー(円錐の屋根がいくつもある左の建物)。
なんともおどろおどろしい歴史舞台のコンシェルジュリーですが、僕がたどるのはこの時計塔。セーヌ川に面した角に「パリ最古の公共時計」が鎮座します。
(住所:1 Quai de l'Horloge, 75001 Paris, フランス)
1370年からこの場所にあって、600年以上もの間、公共時計として時を告げてきました。
2011年にコンシェルジュリーは全面的に掃除修復が行われたとのことで、上のようにとても綺麗に、特に時計はまるで作り直したかのように綺麗になっていました。
以前、ここを訪ねた時はこんな感じ(シャンジュ橋Pont au Change付近から)。
コンシェルジュリーも周りも雨で建物は黒ずんでいました。コンシェルジュリーの歴史的性格上、この状態の方が似合っていますね。
パリ最古の時計もこんなでした。
これが2011年の修復で上のような状態になったわけで、1370年の完成当時の姿に戻ったのでしょう。
ただ、こちらの姿の方がとても年季が入っていて、「最古」と言われて「確かに」とうなずける外観です。真新しい姿も綺麗ですが、こちらのくすんだ状態の方が威厳が感じられて良い。
今回、修復後の時計をまじまじと見て初めて思ったことがあります。
この時計は「王宮の時計」として生まれ、本当は誇らしくパリ市民に時を告げるはずだった。でも、この時計の誕生とほぼ同時期にコンシェルジュリーは牢獄に変わってしまった。
時計としては不本意だっただろう。
自分は王宮の時計として生まれたのに、生まれたとたん監獄の時計になってしまった。しかも、監獄の時計にしてはきらびやかすぎる。と。
以前僕は「とても汚れた歴史が詰まったパリ最古の時計」として、その歴史と風貌が合っているみたいでとても良いと思っていたのだけど、今回改めて、この時計の真実の姿を見て、この時計の無念さと悲哀みたいなものが、初めて伝わってきたように思えたのでした。
シュルジュリーが誕生した当時のこの界隈はノートル=ダムを筆頭に、警察署や裁判所、コンシェルジュリーなど重要な建物がシテ島に相次いで建設され、名実ともにシテ島がパリの中心であることを宣言したような時代でした。
そんな華やかな時代もその後の憎悪渦巻く暗黒の時代も常に激動するパリを眺め続けてきたコンシェルジュリー。そしてこの時計もまた、パリを、不本意な立場に置かれながらも見続けてきたわけです。
今も王宮の時計ではないけど、今度はパリ市民とパリを愛する旅人のための時計として、この先600年も1000年もパリの街を見守ってくれると思います。