
ここしばらく、イスタンブル(コンスタンティノープル)の紹介をするのに先駆けて東ローマ帝国が滅びるまでの事柄を書き綴っているわけだけど、改めてこの頃のイスタンブル(コンスタンティノープル)を描くにはキリスト教やイスラム教に触れないわけにはいかなくなります。そしてなぜ十字軍が誕生して、十字軍遠征とはなんだったかなどを書き進むと、その人の欲と身勝手さに引き起こされた出来事が、僕の気持ちをズーンと重たくしてくれる。なぜ中世が「暗黒」と呼ばれることになるのか、そんなことも含めてどんよりした気持ちになるのです。
ただ無邪気に書き綴ったフランスとか、魅力的な人物が大勢痛快に活躍した古代ローマとかを書き進めていったときに比べ明らかに、タイプが重い。
描いたものを読み返して更に気分が落ち込む、それほどに中世を経て滅んだ東ローマ帝国の歴史はどんより重たいものなのでした。なんだか書き進めるのも重たいのだけど、ローマ世界の終焉をちゃんと辿っておきたい。東ローマが滅んだら現代のイスタンブルを現代のトルコを綴っていくので後少し頑張ろうっと。
徳川家康は言いました。「人生は重たい荷を背負って、長い道をいくが如く」と。
アンとにガウディはこう言っていた「生とは戦いである、戦うためには徳という力が必要である」と。
僕はこう思うんです。
人生を生き抜くためには、美しい景色や花鳥風月魚を感じることができる感性が必要だ、と。
時々空の雲に癒されて、自然にまみれてエネルギーを充填する。身近な世界にもそういう、ハッとさせるような瞬間があり、それに気づくことができるだけで随分と魂は癒されるものです。太陽の光をただ浴びるだけで、そよ風に吹かれるだけで、木々の葉っぱが風に揺れてサラサラ立てる音を聞くだけで、水の音を聞くだけで脳みそはリセットされて、体にはエネルギーが満たされる。でもそれはそれらに気づかなければ、感じ取ることもエネルギーを受け取ることもできないんです。

僕は釣りをするのだけど、この魚(これはニジマス)たちのキレイなことったら。なんでこんな色を纏っているのか。魚を釣るのは難しいのだけど、釣れない時でも彼らがゆったりと泳いでいる姿を見る、それだけでも癒される。

古くから風情の対象だった月。月も僕を癒してくれる。

キレイな景色を見るのと優れた芸術作品を見るのは同じ。優れた作品は美術館に行かないと見ることができないのだけど、素晴らしい景色は、意外と身近なところにあるもので、それに気づくか気づかないか、それだけの場合が結構あるんです。
![]()
身近に素晴らしい景色を見つけた時、周りにそれに気づいた人があまりいない時、なんだか得した気分になります。それを感じ取ることができる感性は、幾つになっても持ち続けていたい。