
Teodus Ⅱ Suru
コンスタンティノープルは3方向を海に囲まれます。南をマルマラ海、北東にボスポラス海峡、北西に金角湾と海に囲まれ、元々からして天然の要害の地勢です。そのコンスタンティノープルを難攻不落と言わしめたのは、コンスタンティノープルの西側に控えるこの「テオドシウス2世の城壁」によるものでした。
「テオドシウス2世の城壁」はその名の通り東ローマ皇帝テオドシウス2世(在位408〜450年)によって413年に完成した当時世界最強といわれた城壁。

外堀、第一城壁、第二城壁の3重構造が金角湾からマルマラ海まで約6kmにわたり続いています。コンスタンティノープルを陸から攻め込もうと思ったら、まず幅20m外堀を越えねばなりません、その後は高さ9mの第一城壁が行手を阻み、仮にそれを攻略できたとしてもその先に高さ最大23mもある第二城壁が待っている。第一、第二城壁の厚さはそれぞれ5m、砲弾が着弾してもそうそう崩れることはない。この3重構造の城壁は「決して破られることのない城壁」としてその名をとどろかせていたのでした。
しかしこの破られることのない城壁が落ちたとき、長い長いローマの歴史は閉じ、イスタンブルという新しい街が誕生したのです。

一部、とても綺麗に保存(復元)されて当時の様子を伝える箇所はあるもの、今その大半はすっかり荒れ果てています。テオドシウス2世の防壁に沿って高速道路が敷かれ、何だか時間の流れに取り残されたような空間なのです。

この崩れ方のどこかに、あの1453年の攻防戦によるものがあるかもしれません。

コンスタンティノープル陥落の夜にここに立ち戦った東ローマ(ビザンチン)の兵士たち。
外堀の向こう側、抜刀姿で後ろに控えるオスマントルコの超精鋭部隊「イエニチェリ」を視界に捕らえ、恐怖に背筋を凍らせていただろう。自分たちは獰猛に迫る目の前のトルコ軍の進入を阻まねばならない。史上最強の防壁の上にいても不安は拭えなかった。どこまで持ちこたえられるだろうか?イエニチェリが動き出したらもう終わりかもしれない。
不安と恐怖にさいなまれながら、ただ必死に戦い続けた兵士たちの戦慄が、この城壁の上に立つと、僕に伝わってくるような気がしました。
この後、東ローマ帝国の成り立ちから滅亡までを辿ってみたいと思います。そして、コンスタンティノープルが終わりイスタンブルが始まったら、現代のトルコ・イスタンブルの街を歩きます。