cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

欧州列車の小話 〜バルセロナへ

僕は南仏ニースから夜行に乗りスペインのバルセロナへ向かった。雨のニースからバルセロナへ向けて出発したのは夜10時過ぎだった。

南フランスからバルセロナに向かうときは地中海沿いをひた走り、国境の街ポル・ボウでSNCF(フランス国鉄)からRENFE(スペイン国鉄)に乗り換えなければならない。スペインの鉄道は他の国に比べ線路幅が広いため列車の相互乗り入れができない。このためフランスからスペインに入る場合、国境の街ポル・ボウ止まりとなって、スペイン各地へはここで乗り換えが必要になる。RENFEの特別車両"タルゴ"は例外。タルゴの車両は線路幅の変化に合わせて列車の車輪幅を変えることができる、いわゆる「フリーゲージトレイン」のため乗り換えナシでスペイン~フランスを行き来できる。

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RENFEのTARGO(25年前)

 

この時僕はタルゴではない普通の車両に乗っていた。しかも簡易寝台クシェットがとれず、ヨーロッパの列車にしては狭い「座席」で横になり一晩過ごすこととなってしまった。体を窮屈に折り曲げた状態で、とてもぐっすり眠ることはできなかった。おまけに朝の5時過ぎのまだ外が真っ暗な時間に終点ポル・ボウに着き、強制的に列車を降ろされる。体がギスギス、頭はぼーっとした状態でフランスからスペインに入る。他のヨーロッパの国境と同じように、ここでも入国審査というものはない。でもポル・ボウ駅はフランス側とスペイン側に分かれていて、「ここからスペイン」みたいな境界線がある。なんだか不思議。僕は駅のフランス側からスペイン側へ移って、生まれて初めてスペインに入国した。

 

バルセロナ行きの列車の出発まではたっぷり2時間ある。時間つぶしに、また残っていたフランスフランを消費するのも兼ねて、駅のカフェでエスプレッソを1杯。ポルボウの駅のカフェは映画で見たことのあるメキシコのバーの様なカフェだった。なんでメキシコっぽいのだろうと思ったが、メキシコはスペインの支配が長かったので、メキシコの近代文化はスペインの影響を強く受けている。よって正しくは「メキシコっぽい=スペイン風」ということになる。

こんな時間だというのに駅の待合室は人であふれていたので、エスプレッソを飲んだその後はカフェ裏の階段に座りバルセロナでの予定を立てることにした。


ようやく発車時間が近づいて明るくなったホームに出てみると、着いたばかりの時は暗くて見えなかった周りの景色が見渡せる様になっていた。ナポレオンはフランスからスペインに入った時に"ピレネーを越えると、そこはアフリカだった"という言葉を残している。僕はアフリカはエジプトしか知らないけど、ナポレオンがそう呟いた理由がよくわかった。

フランスとスペインの国境に沿ってピレネー山脈が横たわり、それをはさんだ両側では景色がまるで違うことに驚かされた。ピレネーを越えたとたんに昨日までいた緑の多い肥沃なフランスとは一転して、乾いた白い大地のスペインがそこにはあった。

車窓から見える景色がうつろう、列車で一晩寝ているうちに全くの別世界に来てしまう。これこそまさにヨーロッパ旅行の醍醐味。僕はその後しばらく"ピレネーを越えると…"という言葉が私の頭の中をぐるぐる回り続けた。

 

ポル・ボウを出発した小汚いバルセロナ行きのローカル車両に揺られ(これが本当によく揺れた)ながら見るスペインの大地は、そのほとんどが白い岩肌を見せて、やせた土地という印象を強く受けた。そんな風景の中、とても印象的で忘れられないのがひなげしの花々だった。季節は春、5月だった。あの乾いた白い大地のあちこちに、さりげなく、たくましく真っ赤な花を咲かせていた。地面の白と、ひなげしの小さな赤がとてもきれいだったのをよく覚えている。

ポル・ボウからバルセロナまで約2時間ほとんど立ちっぱなしだったのだけど、フランスとスペインとの景色のギャップと、ケシの花々のお陰でさっきまでの体も心も虚ろな状態が嘘のようにスッキリ晴れて、気がついたら列車はバルセロナの駅に到着していた。


僕にとって夢にまで見たバルセロナ、サンツ駅到着。近代的な地下駅になっているが、ここは建築家を志してバルセロナにやってきたアントニ・ガウディが、その第一歩を踏み出したところだ。ガウディと初対面に心が躍る。

 

 

 タルゴについて

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2014年 06月号 [雑誌]

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フリーゲージトレインの復興計画 復興計画シリーズ

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