cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ガウディ小話 〜老人とサグラダファミリア

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バルセロナを去る日、僕は最後に一目見ようとサグラダファミリアを訪ねた。その日、夜行列車でバルセロナを発つぎりぎりまで、ただサグラダファミリアを眺めていたかったので、バルセロナ滞在の4日間いつもと同じようにサグラダファミリアを一周したあと、公園の向こう側の池をはさんだベンチに座り、誕生のファサードに向き合った。公園ではペタングに熱中する人、散歩する人ベンチに座り話をする人と様々だ。

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ガウディに向き合ってしばらく、一人の老人が僕の隣に腰を下ろした。杖を持ったその人は歳のころは70台後半くらい、良く日に焼けた顔に大きな鼻がとても印象的だった。彼は僕に話しかけてきた。僕は思わずうろ覚えのスペイン(カスティリヤ)語で「今晩は」といってしまった。すると彼は笑いながら、すかさずこう返した「ここはカタルーニャだ。カタルーニャ語で挨拶をしなさい」と。それからはしばらくカタルーニャ語講座が続いた。今ではもうほとんど忘れてしまったが基本的な言葉と、カスティリア語との違いなどを教えてくれた。

彼はバルセロナ育ちの生粋のカタルーニャ人。この近所に住んでいてここにはよく散歩に訪れるという。
そして僕がサグラダファミリアを見るためにバルセロナに来たこと、バルセロナ滞在中はガウディの建築をいろいろ見て回ったことを伝えると、彼の記憶の最も古いサグラダファミリアの姿は"誕生のファサード"の鐘塔のうち1本しか完成していなかったと教えてくれた。

彼はずっとバルセロナに住みサグラダファミリアが徐々にできあがっていくのを見続けてきた。 彼はガウディのオリジナルである"誕生のファサード"について誇らしげに語り、"受難のファサード"についてはガウディのオリジナルではないことにとても嘆いていた。


僕は彼に訪ねてみた。「完成までには後どの位かかると思う?」
彼は笑いながら「あと500年はかかるだろうね。100年かかってこれだけなんだから後500年はかかるだろう」。

その時は英語での会話となったのだけど、僕より遙かに英語の達者なおじいさんは、しょっちゅう言葉に詰まる僕を見て、こう言った。「まったく日本人ってのは英語がしゃべれんな。日本人ってのは頭がいいから、読み書きは完璧だ。でも喋る方はまるでだめ。俺はカタルーニャ語カスティリア語の他に読み書きはできないが、フランス語、英語、ドイツ語もちょっと話せるよ。日本語はほおんのちょっとだけ。」

 

ぐうの音もでない。実際英語すら自由自在に使えないためにこれまでも何度も残念な思いをしてきた。毎回語学については残念な思いをして旅行から帰ると「今年こそは英語をしっかり勉強するぞ!」と意気込むのだけど、結果はこの通り。
それにしても、このときはこれまでで一番後悔した。この人には、もし言葉に不自由しなければ聞きたかったことが山ほどあったのに…そう山ほども。サグラダファミリアのこと、ガウディのこと、カタルーニャのこと。

パリ行きの列車の時間が迫り僕はサグラダファミリアを後にする。いろいろ教えてくれたおじいさんに最後にカタルーニャ語の別れの挨拶を教わり、お別れした。彼は日本語で「さよなら」といった。本当に残念だった。もっともっと詳しくサグラダファミリアやガウディの話がしたかった。

好きな街、好きな場所を離れるときは大きな勇気が必要だ。「もしかするともう2度とここには来られないかもしれない」そう思うとなかなかその場所を離れられない。時間ぎりぎりのぎりまで、その場所の空気を吸って、感じて、景色を目に焼き付けてそれから離れなければ後悔する。忘れられないほど記憶に刻めるように。
僕は最後にサグラダファミリアをぐるっと一周してサグラダファミリアの姿を目に焼き付けてから、夕暮れ時バルセロナフランサ駅へ向かった。

またいつか来られるだろうか。でも、もし来られたとしても、もうサグラダファミリアはまるで別人のようなサグラダファミリアになっているのだろう。

 

 

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