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ガウディ小話 〜サグラダファミリア建設の是非について

f:id:fukarinka:20200414121650j:plainガウディは詳細な設計図を残していなかった。また石膏模型を使ってギリギリまで変更をかけながら形を決めていくという手法で言わば設計と工事を同時に進めていました。これはサグラダファミリアに限らずガウディの仕事はこのスタイルで進められたものが多い。

サグラダファミリアの完成を見ることなくガウディは亡くなって以降、サグラダファミリアはガウディが残した膨大な石膏模型だけを頼りに工事を進めることになる。

しかしガウディが亡くなった後、スペイン内乱が起こり、その煽りでサグラダファミリアが焼き討ちに合う。唯一ガウディが仕上げ完成したロザリオの礼拝堂も、サグラダファミリア の設計資料である石膏模型も大半が破壊されてしまった。内乱の後、サグラダファミリアの設計資料はバラバラに砕かれた石膏模型とガウディが残したラフな全体図のみ。これでガウディの構想を正確には辿れなくなってしまった。

ただ、仮に資料が残っていたとしてもギリギリまで変更を加え、設計と施工を同時に進めるガウディのスタイルを考えると、設計資料が残っていたとしてもガウディが完成させたであろうものは実現できなかっただろうという考え方もある。

 

ガウディが亡くなって設計資料も失われて以降、聖堂建築の詳細については後任の建築家たちに任された。

その結果、写真は「受難のファサード

ガウディのオリジナルである誕生のファサードとは随分違う、近代美術的な彫刻が聖堂を飾る。任されたと言ってもこれで良いわけがない。バルセロナの人々の間でもこの受難のファサードについては色々あるようだ。

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サグラダファミリアの建設については世の中で様々な議論がなされている。

ものすごく個人的な視点で、僕はガウディの作品としてサグラダファミリアを残したいから、これ以上建設を続けて欲しくない。余計なものはこれ以上は加えずに生誕のファサードのあの4本のトウモロコシを大切に残したい。でもこれはバブル期に名画を買い漁った日本人の発想なのかもしれない。

 

ガウディは貧しい人々のための教会の建設を引き継いだ。貧しい人々を助ける神がガウディの施主であって、ガウディは自分の作品を残そうとしたのではなく、グエル邸やカサ・バトリョカサ・ミラの時と同じく施主にとっての最高の家を作ろうとした。その意志を思うと、この聖堂は完成を目指すという方向性は正しいのだろう。

 

僕が訪ねた当時、中央身廊の部分が建設されつつあったが、この部分は鉄筋コンクリートで進められていたのがちょっとショックだった。着工から140年経つ誕生のファサードは痛みもひどいため、近年は新たな部分を建設しながら、この生誕のファサードの修復もしながら工事は進めらてきた。18本立つ予定の塔のうち生誕、受難のファサードの8本が立った。十字の身廊は屋根で覆われステンドグラスも入り、内部は大きく完成に近づいた。外部は4人の聖人、聖母マリア、キリストの塔の土台部分ができ、もう間も無く祝福のファサードの工事が始まるだろう。

サグラダファミリアの工事は1990年代後半になって急に工事スピードが上がった。それはITが進化して何もかもが驚くほど効率よく進められるようになった。僕がここを訪ねた頃、街の人たちはまだ完成まで300年くらいはかかるよって話してた。この教会の性格上、建設資金は献金に限るとされ、またガウディの計画があまりに壮大だったため何度も資金難で建設中止になりかけたことからも、300年、いや500年かかると言ってもさもありなんという感じだった。それが今では資金は世界中の観光客入場料として寄付をする。またITの進化と建設工法の進化によって、ガウディの設計が復元されどんどん新しい工法も取り入れられた結果、あと数年で完成すると言われている。なんとも複雑な心境

ゆっくりと着実に魂刻むごとく石を刻み、積み重ねてきたものがこの教会の存在の重みとなって僕達にも伝わってくる。誕生のファサードはすべて石だ。140年も前から何度も建設中止の危機に追い込まれながらこつこつ積み上げてきた。建設費は信者からの献金に頼るとしたサグラダファミリアの性質から資金繰りに苦労しながらもひとつひとつの石に手をかけ、ガウディの魂を吹き込まれた結果があの誕生のファサードなのです。

何百年かかっても良い、魂刻む如く石をこつこつ刻みつつ積み上げていくように、少しでもガウディに近づけるべく工事を進められることを願いたい。

 

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