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ガウディの足跡10 サグラダファミリア〜内部

Sagrada Familia

時期◼️1883- ?  ガウディ31- 73歳

場所◼️ マリョルカ通り401 Carrer de Mallorca, 401, 08013 Barcelona

現在◼️建設中

 

サグラダファミリアで聖堂内部に表現された自然、”螺旋”。

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鐘塔に上る階段は上から覗き込むと巻き貝のよう。通常、教会のこのタイプの階段は中央に軸があって上から眺めることはできないのだけど、ガウディはこの中央の軸を取り除いた。そのおかげでフィボナッチ数列に基づく「螺旋」を見ることができるのです。ガウディが意図してこれを作ったのかは分からないけど、自然界の一番ベーシックな形をここで見ることができるのです。

 

誕生のファサードの内側。

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表側の自然、曲線、混沌の印象とは対照的に幾何学的、直線、整然が支配する空間になっています。

今はもうこの姿を見ることはできません。

 

 

サグラダファミリアの祭壇となる場所。

当時は控えめに小屋のような屋根がかけられ鉄の十字架がここがその場所であることを示していました。

後陣にも全く屋根はなく石を削る乾いた槌音がカンカン響いていた。

 

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サグラダファミリアの地下には、前任建築家ビリャールが造った礼拝堂とガウディ博物館がある。

ガウディ博物館には貴重な写真資料、サグラダファミリアの構想図、石膏模型、ガウディの有名な逆さつり実験(コロニア・グエル教会の構造実験)模型が展示されていた。

 

 

受難のファサードからバルセロナの街をバックに誕生のファサードを眺める。

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着工から116年経つ誕生のファサードは痛みもひどいので新たな部分を建設しながら、同時にこのファサードの修復もしながら工事は進められていました。

 

サグラダファミリアの工事は1990年代後半から、急ピッチに、急にピッチが上げられて進んでいます。この当時、中央身廊の部分が建設されつつあったのだけど、この部分は鉄筋コンクリートで進められていた。その後、鉄筋コンクリート始め様々な近代工法を駆使していままでの何十倍ものスピードで建設が進んでいる。

 

かつて、教会の性格上、建設資金は献金に限るとされ、またガウディの計画があまりに壮大だったため何度も資金難で建設中止になりかけた。それでもゆっくりとゆっくりと着実に石を刻み、積み重ねてきたものがこの教会の重みとなって見る人、訪れる人々にも伝わってくるのだけど、今に至るこの建設手法は少し悲しい気持ちになります。

 

下の写真、ここはロザリオの礼拝堂。

生誕の門の一角にあるサラダファミリアの中で唯一ガウディが生前に完成させた部分。と言われている。でも、そのロザリオの間もガウディの死後、1930年代スペインの内乱の際に貴重な設計資料(=模型)とともに破壊されてしまいました。それから随分放置されていたところ、1980年代になって、修復が始まった。修復を任されたのは外尾悦郎氏。単身バルセロナに渡り、サグラダファミリアの彫刻家になって間もなくのころだったと言います。もともと設計図は書かないガウディ、模型資料も内乱で失われてしまった後、唯一残された一枚の写真を頼りに修復に挑んだと言います。写真に写っていないところ、物陰に隠れてしまったところは、ガウディの生い立ち、性格、宗教、歴史的な背景から想像して作り上げたという、ガウディの意思を辿りながら修復したのでした。厳密にはもうガウディのオリジナルではないのだけど、精神的にはオリジナルと言っていい、むしろガウディもこの修復をこう喜んでいるのではないか。

「前よりもっと良くなった」と。

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 どんなに時間がかかってもいいから、サグラダファミリア全体がこんな風に作られて行けばよかったのに、と思わずにはいられない。

 

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