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ガウディの足跡10 サグラダファミリア〜概要

Sagrada Familia

時期◼️1883- ?  ガウディ31- 73歳

場所◼️ マリョルカ通り401 Carrer de Mallorca, 401, 08013 Barcelona

現在◼️建設中

これから語るサグラダファミリアは1995年のお話。堂内にはまだ屋根もなく、槌音が響いていた、ガウディのオリジナルのままのサグラダファミリアの頃。

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御誕生の門は建築ではない
 イエス誕生の喜びを永遠のもののように歌い上げた”建築の詩”である
 これこそ石塊から生まれ出た建築の詩
 未完成の形からこの聖堂に命を懸ける男の情熱が見える
 彼は聖堂の完成を自分の目で見る欲を持っていない
 建設の維持を後世の人に託す望みだけを持っている
 彼のつくっているものはカタルーニャ自身なのだ

詩人ホアン・マラガールによる”生まれつつある聖堂”より

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宗教書の書店主であるボカべーリャがイタリアはロレートのサグラダファミリア教会に感激し、バルセロナにも同じ物、貧しい人々のための教会を建てようと志したのが始まりでした。

1882年3月19日、聖ヨセフの日にその礎石は置かれた。当時この聖堂の建築を担当したのはガウディともゆかりのある建築家ビリャール。ビリャールは無償でこの教会の設計を引き受けました。

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1929年 サグラダファミリアは誕生のファサードのみ

 

正式名称は El Temple Expiatoni de la Sagrada Familia = 聖家族贖罪教会。

サグラダファミリアとはそもそもイエス・キリスト、養父ヨセフと聖母マリア(=聖家族)に捧げる贖罪聖堂であり、聖家族を模範とする家族のあり方こそ理想であり、人間は皆、神のもとに家族である、という教えのもとにあリます。

礎石が置かれてから1年後の1883年、発案者ボカべーリャと建築家ビリャールとの衝突から、サグラダファミリアの新しい建築家としてガウディが迎えられた。ガウディは前任のビリャールの設計は引き継がず、ガウディのオリジナルで誕生のファサードから工事は進められたのでした。

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誕生のファサード

 

ガウディ通り

当初、ガウディはサグラダファミリアを中心に放射状に4本の通りを造るつもりだった。
計画は結局一本が実現したのみで、”ガウディ通り”と呼ばれています。

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ガウディ通りから見るサグラダファミリアもとても良い。

そしてサグラダファミリアから見るガウディ通り。通りの向こうに見えるのはサンパウ病院。ガウディと同時期に活躍したバルセロナの建築家ドメネク・イ・モンタネールの作品。

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寄付

当時のサグラダファミリアの入場チケット、という形のサグラダファミリアへの寄付。

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僕はバルセロナ滞在中、朝昼晩サグラダファミリアを訪れた。冗談のような話だけど、それぞれの時間、光の当たり方でサグラダファミリアはいろいろに変化していく様がとても好きだったから、朝昼晩に出かけて色々な角度からサグラダファミリアを眺めた。

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サグラダファミリアのプラン

カトリック教会建築にはいくつかの決まりがあり、独創的なフォルムを持つサグラダファミリアもその決まりを踏襲しています。

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ガウディの構想ではサグラダファミリアは五身廊、三袖廊のラテン十字平面を構成するバシリカ形式の聖堂であり、中央身廊と後陣含めて全長95m、全幅45mある。そして大小合わせ18の塔(放物線形ドーム)が林立する壮大な聖堂となる予定。

中央にはキリストを象徴する170mの放物線形の塔を中心に、寄り添うように聖母マリアの塔、その周りに四福音書家の名前の四本の塔が取り巻き、更にその外側を三つのファサードが囲む。

ファサードの四本の鐘塔は一二使徒に捧げられたものである。

■誕生のファサード(東、日が昇る側、キリスト誕生の祝福を表す 最初に建設)

■受難のファサード(西、日が沈む側、処刑の悲しみを表す ほぼ完成)

■栄光のファサード(南側、キリストの昇天を表す 未着工)

 

受難のファサード

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ガウディは詳細な設計図を残していなかったため、ガウディが亡くなった後、ディテールについては後任の建築家に任された形となっています。

写真は”受難のファサード”、ガウディのオリジナルである誕生のファサードとは趣異なる近代美術的な彫刻が表面を飾る。これは賛否両論今でも論争を巻き起こしている。

受難のファサードだけでなく、サグラダファミリアの建設そのものも色々な意見が飛び交う。

僕はガウディの作品としてサグラダファミリアを残したい。その観点からすると、これ以上建設を続けるべきではないと思う。ガウディの生誕の門の素晴らしさ、もうこれ以上ガウディの想像したサグラダファミリアは作ることができないことを思うと、モニュメントとして生誕のファサードを残して欲しい。と思う。それにもう当時から鉄筋コンクリートで急ピッチに工事が進み始めた。これでいいのだろうか?時間がかかっても少ない寄付を集めてコツコツ石を掘り、積み上げていくやり方が、いつの間にか近代工法で無造作に工事が進められていくようで、見るのが辛い。

 

でも、その一方で貧しい人々のための教会を生涯作り続けたガウディの意志を思うと、サグラダファミリアは完成させなければいけないんだろうな。受難のファサード以降、今はガウディの設計をなんとか再現することを試みて、今ではガウディの思想から設計の欠落部を補おうとする建築家や彫刻家が教会建設を進めている。

生きてるうちに完成しなくてもいい。ゆっくり丁寧にガウディを再現して欲しい。

 

 

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