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旅行の記憶と何気ない日常を

ウィリアム・ウォレスとスコットランド

エディンバラ城の入り口の両脇に立つのは13世紀スコットランド独立を勝ち取った英雄の二人。

左がスコットランド王ロバート・ブルース。

右が伝説の英雄ウィリアム・ウォレス。

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 12世紀までのスコットランドは小国乱立して各貴族たちは反目し合い協力しあうことをしない。そこをつけ込まれたスコットランドイングランド王にいいように支配されていました。一方的な圧政に対しても、スコットランドの貴族たちは自分たちの保身を優先してイングランド王に従うことを続けていた。そんな状態で庶民は相当虐げられていたと言います。

そこにウィリアム・ウォレスが現れた。ウィリアム・ウォレスの記録はあまり残っていない。イングランド主導の歴史は敵方の英雄の記録をことごとく消し去り、自国の都合の良いように書き換えてきたからだといいます。

 

スコットランドの平民として生まれたウィリアムは幼い頃にイングランドとの戦いで父親を亡くし、叔父に連れられ諸国放浪の旅に出る。そこで色々な文化や言葉、グローバルな思想を纏うことになります。やがて故郷に戻り、平穏に暮らしていたが、イングランド兵に妻を殺されてから、スコットランドの自由と独立のために民衆を率いて、イングランド軍との戦いを繰り広げていくことになる。その抵抗運動はどんどん広まり、イングランドになびく貴族を巻き込んで、スコットランドの自由を目指して戦いを拡大していった。

 

ウィリアム・ウォレスが大きく民衆や貴族を率いていくことになった理由は、一つは戦いに勝つ術を持っていて有言実行を繰り返したこと。そしてもう一つの大きな理由として、人々を惹きつける人間的な魅力を持っていたからだと思う。スコットランドの田舎の平民でありながら、語学、他国の文化に精通し、周りの誰よりも視野が広く深い洞察力を持っていた。そしてスコットランドの平民だからこその人間的な暖かさ。そんなウィリアムに人々は魅了されていったのでしょう。

しかしそういうタイプの人物には、嫉妬や裏切りという見えない敵が忍び寄る。

イングランドに勝利を重ね、スコットランド独立をかけた大きな戦いで、ウィリアムは友軍貴族たちの裏切りにあい、イングランド軍にとらわれ、処刑されてしまう。

イングランド軍を苦しめ続けたスコットランドの英雄に対して、当時最も残酷な刑を執行、スコットランドの自由を求め続けたウィリアム・ウォレスはロンドンでその生涯を閉じることとなったのです。

僕はウィリアム・ウォレスは人生の終わりで、処刑という場面にあっても多分清々しい気持ちでいたのではないかと思う。それは自分の考えに忠実に、何に縛られることなく精一杯生き抜いて、最後は裏切りにあって、スコットランドの独立には立ち会えなかったけど、自分が死んだあとスコットランドが独立できることが感じ取れていたから、自分はここで死んでも大丈夫、と思えたのではないだろうか。

 

ウィリアムが処刑されたその後に、その意思を継いだロバート・ブルースがスコットランドを率いて独立を勝ち取り、スコットランド王となりました。エディンバラ城の入り口にはそんな二人の銅像立っているのです。

歴史の谷間に葬り去られそうになったウィリアム・ウォレス。でもスコットランド人はどんなに記録を改ざんされても、その記憶の中に正確な英雄の人生を引き継いで来たのでした。

 

メルギブソンが主演、監督した映画「ブレイブ・ハート」はウィリアム・ウォレスを世に広く知らしめることになりました。僕の好きな映画の一つです。

 

 

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