朝のニヨン駅のビジネスマンや学生の多さから察するに、ジュネーブやローザンヌのベッドタウンなのかも。この街からも湖畔の他の街に負けない、とてもきれいなレマン湖の景色が広がっています。
スイス第二の都市ジュネーブが人口19万人、ここニヨンは1.7万人と人口で比べれば10分の1に過ぎない小さな街。でもレマン湖畔の街の中では一番早くから近代化が進んだところ。
ニヨンはレマン湖のほとりで最もローマの色が濃い街。ニヨン駅のそばでは円形闘技場が発見され、丘の上のローマ博物館にはカエサルの像が立つ。またレマン湖を見渡せる公園には”シーザー(カエサル)タワー”と名付けられた、ローマの神殿の後が保存されている。
「ニヨンにはローマの遺跡がある」ということで立ち寄ったのだけど、当時はなんでレマン湖のほとりのこんな場所にローマの遺跡があって、なんでカエサルの像がこんな場所に立っているのか不思議に思っていた。その後、その理由を知りたくてローマ史を学んでなるほどそうだったのか、となる。
ニヨンがこれだけローマ色が強いのは紀元前1世紀にガリア戦役を繰り広げたカエサルとその軍団がこの街の基礎を作ったから。
「スイス人のスイスとローマ」で書いたように、ジュネーブに集まり移動を始めたスイス人(ヘルウェティ族)を元のスイスの地に戻すことから始まったカエサルのガリア戦役でローマ軍団の駐屯地となり、その後ローマ化(=近代化)され、植民市コロニア・ユリア・エクエストリス(Colonia Iulia Equestris)またはノヴィオデゥヌム(Noviodunum)と呼ばれる当時スイス最大の都市となったのがここニヨンなのです。
カエサルの子飼の軍団は第10軍団。第10軍団はエクエストリスと呼ばれていたのでこの街は第10軍団が作った街かもしれません。
ニヨン城からのニヨンの旧市街地区、レマン湖を臨む。ここからの眺めはとても気持ちがよかった。
この後、迷路のような小道を湖畔まで降りた。この辺りは人が少なく静かで、雰囲気のある道がたくさんあって散歩はとても楽しかった。
湖畔には長閑な船着場があり、少しだけ観光客がいた。僕は湖畔でしばらくのんびり過ごすことにした。水面に太陽の光がキラキラ反射して、とても穏やかな時間だった。
ローマの遺跡を求めて立ち寄ったニヨン。思っていた以上にローマの色が濃く、その後の僕のローマ偏愛を決定的にした街でもありました。