レマン湖の東端、ジュネーブとは反対の端に位置するのがここモントルー。
僕の中で「モントルージャズフェスティバル」で有名なこの街、ここもレマン湖畔の他の街と同様に山の斜面にあるため坂が多い。でもジュネーブともローザンヌとも、他のスイスの街とも違う独特の雰囲気のある街です。
湖畔の公園にはジャズフェスティバルの街に相応しくトランペット等の楽器のオブジェがたくさんある。ちなみにこのトランペット、水鉄砲になっていて、レバーをがちゃがちゃ動かすとレマン湖に向かって水がぴゅっぴゅ出るお茶目な仕組みになっている。
モントルー周辺はレマン湖畔の中でも最も美しい場所「スイスのリヴィエラ」と呼ばれ、18世紀後半頃からイギリス人のリゾート地として発展してきた。これはイギリスの詩人バイロンが詠んだ叙事詩”シヨン城の囚人”によってモントルーとシヨン城が一気に広まり、イギリス人たちが大勢ここにやってきたことが始まり。それに乗じてホテルや娯楽施設などがたくさんできたことで、モントルーはリゾート地と化したのでした。
レマン湖畔に沿って続くモントルーの公園は遊び心があふれている。
これは巨大ローラーでペインとされた花壇。
絵筆で色づけられている花壇。モントルーの湖畔はすべてがこんな調子でとても楽しい。
遠目に眺めて、”どこかで見たポーズだ”と思って近づいてみたら、やはり、あの人だった。
Queenのボーカリストで1991年にエイズで亡くなったあの人だった。僕は当時、Queenの音楽は好きだったけど、フレディとモントルーの関係は知らずにいたので、偶然の出会いでした。
フレディは1978年に初めてモントルーを訪れて以来、ここの虜になりQueenの録音スタジオを構え、亡くなる直前までの2年間はこの像のすぐそばレマン湖をきれいに見渡せる場所で過ごしていたそうです。
この像は湖畔の公園にあり、フレディはレマン湖に向かってあのポーズをきめている。
フレディ以前にも、モントルーを愛した芸術家たちがいました。
その代表として19世期イギリス詩人バイロンは「シヨン城の囚人」をチャイコフスキーは「ヴァイオリン協奏曲」を20世期ストラヴィンスキーは「春の祭典」をここモントルーで書き上げたと言います。
モントルーの湖畔を歩いて、レマン湖の景色を眺めていると芸術家たちの気持ちがわかります。確かに、ここモントルーはそういう土地でした。