cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル13 ガリア戦役 ドイツ 〜ライン渡河

ガリア戦役4年目(B.C.55年 カエサル45歳)

カエサルはこの年、二つの大きな仕事を成します。

一つは対ゲルマンでの出来事。

前年のルッカ会談で合意したであろう通りに首都ローマでポンペイウスクラッススが執政官になり、それぞれのプロコンスルとしての任地の決定と、カエサルガリア総督の任期が5年延長、そして三頭それぞれが十個軍団を持つことが合法化されます。

カエサルは現フランス、ノルマンディー地方で冬営中の軍団からゲルマン人部族がライン河を渡ってガリアに侵入していることを知らされます。春になってカエサルは急ぎルッカから軍団冬営地に向かい、ガリアへ侵入したゲルマン人の掃討に向かいます。

ゲルマン人ガリア同様に大小強弱たくさんの部族が存在し、かつ統一など考えない民族でした。狩猟民族で肉が主食、体も大きく好戦的でガリア人とは違い定住しての文明化は望めない、というのが当時のローマ人のゲルマン人に対する見方でした。よってカエサルゲルマン人に対してガリア人とは全く違う扱い、「ローマ世界からの排除」という選択をします。

ゲルマン部族には二大部族があり対立していました。反ローマでゲルマン諸部族にも好戦的ないわばガキ大将的な「スヴェヴィ族」と、ローマを味方にしてスヴェヴィ族への抑止力にしたい、規模は最大の「ウヴィ族」。やんちゃで豪胆なスヴェヴィ族に押し出される形で弱小部族が居場所を求めてライン河を渡り、生活のためとはいえガリアの地で略奪を繰り返しガリア人を苦しめた、背景にはこんな構図がありました。

ガリアに居場所を要求するゲルマン人の彼らに、カエサルガリアに居座ること許さず、その代わりウヴィ族にゲルマンの地での居場所の確保を交渉すると伝える。交渉の日付を決めそれまで戦闘禁止令を出し軍団を進めるカエサルの元に、前線にいたローマ軍(正確にはローマ軍として参加していたガリア騎兵)がゲルマン人に不意打ち仕掛けられ多くを戦死したと情報が入る。これによってカエサルは「話し合い」を捨て一気にゲルマン部族の掃討に舵を切ります。話合い前提の休戦の約束を反故にする相手に対してもローマ人は容赦しません。殺戮に近い形でガリアに居座っていたゲルマン部族を殲滅しました。

そしてカエサルゲルマン人に対して、ライン河の向こうにいる各部族に対して「これ以上ガリアに入ってくるなよ」という意思を込めてゲルマンの地に攻め入ります。それも強烈なデモンストレーションとして行うのです。カエサル自身が「名誉ある方法」と記したその渡り方とは、大河ライン河に橋をかけて渡ることでした。

ローマの軍団兵は強力な兵士であると同時に、優秀な工兵でもありました。どこにでも宿営地を建て、塹壕や防壁、巨大な攻城兵器を作り、さらに道路などのインフラまで作ってしまう。カエサルは本国への報告の際にこのローマ軍団兵の工兵の活躍を褒めちぎります。この時ローマ兵は橋梁技術者となり巨大な橋をつくります。材料はライン河周辺に広がる広大な森の木々。大量の木々を伐採し、これらを橋の部材となるように加工して、現在のボンとケルンの間と言われているライン河のほとりまで運びます。同じく建設用の機械も作り、橋脚を等間隔に打ち付けることから工事が始まるのです。材料到着からわずか10日でローマ軍団兵が並んで歩ける大きな長い橋が完成してしまいました。長さ400mとも幅9mとも言われる頑丈な橋はカエサルの軍団をゲルマン人の土地へと導きます。

 

カエサルの意図通り、橋の建設の時点、見たこともない橋がどんどんできていくプロセスの時点で、ゲルマン人は相当に恐れをなしたらしい。ローマ軍団が橋を完成させて渡ってくる前に、ゲルマン人は自身の集落を捨てて森の奥深くに逃げ込んでいました。ライン河を渡った先での戦闘はなく、ローマ軍は村を焼き尽くして再び橋を渡りガリアへ戻ったのです。そして橋は解体されました。

カエサルはこの時、3つのことを同時に進めていました。

  1. ゲルマン人に対するデモンストレーション
  2. ガリア人に対するローマの安全保障の約束の証明
  3. 過去例のないライン渡河(あっという間に橋をかけて渡り、あっという間に壊すというローマ技術力の証明と本国に対する宣伝)

カエサルは「一つのことを一つの目的のために行わない」と言われます。何かをなすときには二重、三重の意味を持たせてことを進め、効果を最大にする。現代でもとても参考になる、が、なかなかできることではありません。

上の写真はドイツはケルンのライン河の景色です。橋がかけられたのはここではないにせよ、ここケルンからボンの間のどこかであれば、この写真くらいの河幅に即席の、しかし頑丈なローマの橋をかけたことになります。しかも木製の。ローマ人の設計と加工、建設に関する技術力には驚かされるばかりです。

それにしても、ローマ史をたどって思うのは、ゲルマン(ドイツ)人の素行の悪さ。今現在だけ切り取れば、ドイツといえばEUの中でも、世界的に見ても優等生、いろいろな成功を収めている国ですが、ほんの数十年前はヨーロッパ諸国を侵略したり、大虐殺をおこなったりしていたわけで、2千年前と変わらぬ素行を考えると歴史とは本当に面白いです。

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