andsberg
Landsberg am Lech(ランツベルク・アム・レヒ)「レヒ川にあるランツベルク」というのがこの街の正式名称です。
12世期にここに街が起こり、レヒ川のほとりに城砦が築かれてから沢山の人が集まりました。14世期初頭のバイエルンとオーストリアの戦いに巻き込まれ、街は消失します。街の再建に合わせて、この街に塩の税金徴収の権利が与えられて以降、ランツベルクは大きく発展し、現在に至るまでレヒ川沿いの重要都市となったと言います。
そんなランツベルクに、ロマンチック街道バスで来たのですが、許された滞在時間はわずか15分ほど。降り立ったのはここ、旧市街のハウプト広場。古い時計塔「シュマールの塔」とその周りを囲む南ドイツらしい可愛らしい建物たちが印象的です。
わずかな時間で過ごせたのは、この広場とあの時計塔の裏まで。残念。
ここは、ハウプト広場
シュマールの塔(時計塔)は彩色屋根が特徴です。レンガの古い肌色は13世期からのものなので周囲の建物と比べてとても渋い味わいを醸しています。
マリアの噴水の向こうにある白い建物は旧市庁舎。周囲と比べて一味違った目を引く建物ですが、これは1719年にツィンマーマン(ヴィース教会を建てた)によって建てられたものでした。なるほど、納得。
さて、旧市街の華やかさの一方で、近代に目を向けるとランツベルクには色々な黒い影が見えてきます。
まだ独裁者になる前のヒトラーがランツベルクに収監されていた時期があり、この時にナチスの礎を構想したと思われる。そしてのちに国家社会主義の第3の中心都市となり、またヒトラーユーゲント(ナチスの青少年組織)の中心地となっていく。第2次世界大戦末期には、最新鋭戦闘機の製造地ともなり、多くのユダヤ人の強制収容所が作られ、その司令部がランツベルクには存在したと言います。
当時はそんな黒い歴史は感じることができないまま、あっという間にバスに乗り込み僕はランツベルクを去りました。
13世期、塩税の富で街が整備され美しい姿なった。
そしてここは「バイエルンのローテンブルク」と呼ばれるようになりました。
次の目的地は「ローテンブルク」
ランツベルクのHP(ドイツ語)↓