ローザンヌは「オリンピックの首都(Capitale Olympique)」と呼ばれます。何故、ローザンヌがオリンピックの首都なのか?不思議に思っていました。
ローザンヌの駅舎には五輪のマークと「オリンピックの首都」の文字。IOCの本部があるのがここローザアンヌなので、そういう呼ばれ方もわからないではないけど、そもそもなんでローザンヌにIOCの本部があるのだろう?
ローザンヌーオリンピックの糸を辿ってみます。
そもそもオリンピックの起源は古代ギリシアのオリンピアで開催されたオリンピア大祭またはオリンピア祭典競技と呼ばれた競技会。これを現代では「古代オリンピック」と呼んで区別します。
古代オリンピック初期の競技は6種類と言われ、ボクシング、徒競走、レスリング、パンクラチオン(総合格闘技)、戦車競走、ペンタスロン(5種競技)。
周辺の各都市国家の自由市民が参加、競技で勝者になると母国では英雄として迎えられました。都市国家ポリス同士や他国との戦争が絶えなかったこの時代に、オリンピア大祭開催期間と選手の移動のための約3ヶ月間は休戦期間として戦争行為を禁止して、国同士の競技会に没頭したのです。古代オリンピックは紀元前8世紀から紀元後4世紀まで約1200年にわたり四年に一度開催されてました。現代にわたってオリンピックが平和の祭典と呼ばれる由来がここにあります。
近代オリンピック復活とIOC誕生
4世紀以降途絶えた平和の祭典「オリンピック」を復興させ用と尽力したのがフランス人のピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin)男爵。近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタン男爵によって1894年にIOC(国際オリンピック委員会)が発足されました。最初IOCの本部はパリのクーベルタン男爵の実家に置かれていたそうです。
その2年後の1896年にオリンピック発祥の国ギリシアで、実に1500年ぶりに平和の祭典オリンピア大祭が復活、第1回近代オリンピックの開催が実現したのでした。
その後、古代オリンピックに倣って4年に一度開催。第1回アテネに続き、第二回はパリ、第3回セントルイス、ロンドンと続きます。そして1912年第5回ストックホルム大会では日本が初参加を果たします。
IOC本部スイスへ
しかし、次第に近代オリンピックは政治利用されるようになり、第1次世界大戦で中止となった第6回ベルリン大会ではナチスドイツによるオリンピックの政治利用が大きな問題となります。
元々古代オリンピックの復興を志したクーベルタン男爵は、オリンピックが政治的中立を保てることを重要視してIOC本部の移転を決意します。
その移転先に選ばれたのは永世中立国であるスイス。何故ローザンヌだったのかは記録が残されておらず、はっきりしたことはわからないそうです。
オリンピックの首都
1994年、IOC誕生100周年の年にIOCは本部のあるローザンヌに対して、「オリンピックの首都(Capitale Olympique)」の称号を授与。こうしてローザンヌはオリンピックの首都になったのです。
一番肝心な何故スイスの中でもローザンヌが選ばれたのか、そこは結局分からずじまい。
ローザンヌの眺望が素晴らしく、クーベルタン男爵のお気に入りだったからではないか?みたいなことが実しやかに言われているようだけど、クーベルタン男爵が語ってくれないと本当のところはわからない。
ここは1993年に作られたオリンピック博物館。
2020(2021年延期)年東京で近代オリンピックは27回目になります。
100年以上に渡る近代オリンピックの記録、記念の品々を魅力的に展示、公開するために作られたのがこのオリンピック博物館(Olympique Museum)。湖畔のUsschy地区に位置します。
このときはお土産物売場までしか入らなかったのだけど、このとき(1997年夏)そこには次の年に開催される長野オリンピックグッズがあふれていた。今は2020年。東京オリンピックグッズであふれているでしょう。
レマン湖を見渡す前庭にオリンピックの聖火が灯されています。
オリンピックの会場で何かアナウンスがあるときは、どこが開催国でもフランス語が使われます。近代オリンピックとして平和の祭典を復活させてくれた人々に敬意を払う。僕はそんな気持ちでオリンピックのフランス語を聞いています。