cafe mare nostrum

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古代ローマ小話 奴隷の話

タイトルはとても後ろ向きですが、内容はそうでもないのでご安心ください。

「奴隷」という言葉を見ると、アフリカから強制的に拉致されて、ひどい環境で生活しながら強制的に労働させられる人々をイメージします。「奴隷」という言葉には良いイメージはありません。

実際、近代史の奴隷はそういう扱いであるし、世界史的に見ても大抵の場合「奴隷」は虐げられ一生を終える悲しい運命をたどる人々を指すことになります。

しかし古代ローマでの奴隷はイメージがずいぶん違います。「奴隷」と言う名前がついているものの、ローマ社会においては非常に重要な役割を担う人々だったといって良い。

ローマ社会での奴隷の役割。は。。。

■農業労働力:農家の貴重な労働力、大規模農園の労働力として彼らは過酷な労働を行いました。しかし一方で農家にとって大事な「貴重な戦力」としてとても大切にされたと言います。

■剣闘士:もともと観客への見せ物、エンターテイメントのためにはじまったのが剣闘試合であったこともあり、衣食住完備、剣闘士としての訓練を受け、試合に臨み観客を楽しませ、試合に勝ち続けた奴隷は、自由民になることも許された。自由民がその栄誉に憧れて剣闘士になることもあったし、奴隷の剣闘士が自由民の権利を得た後に、栄誉に浸りたいために再び剣闘士にカムバックすることもあった。それほど危うく魅力的な職業だったようです。

■知的労働力:高度な能力や技術を駆使して、教師、技師、会計士、秘書といった仕事を奴隷たちが担いました。この延長で国の行政に深くかかわる奴隷もいました。

もっともポピュラーで花形だったのは家庭教師で、貴族など裕福な家庭の子息にはギリシア人奴隷の家庭教師をつけることがステイタスでした。当時は「最高学府ロードス島で学んだギリシア人」というのが最高のブランドでかなりの高値がついたとか。カエサルのような名門貴族であるけれど、財力がない家庭はギリシアで学んだ◯◯人奴隷が重用されました。ちなみにカエサルの家庭教師は世界三大図書館の一つを抱えたアレクサンドリアで学んだガリア人。

■家族の一員:一般家庭では子供の世話係、教育係、家事全般、手紙の朗読や代筆、門番などさまざまな家庭雑用を奴隷たちがこなしていました。そして家庭内の奴隷は家族同様に扱われ、特に貴族の子息であれば同じ年頃の奴隷の子供が生活を共にして、同じように教育を受けます。これは将来国を背負う人材のために奴隷の子は生涯の友となり、ライバルとなり、理解者となってともに成長し、生涯一緒に行動していきます。こうして奴隷の子供たちは将来のローマを担う人物の忠実な従者となるために家長の子供と一緒に大切に育てられたわけです。そして両者の間には必然的に強い絆が生まれます。

カエサルにも幼い頃から一緒に過ごした奴隷がいました。B.C.44年3月15日にカエサルが暗殺された直後、首都の騒乱を恐れてだれも外出できなかった時、命をかけてカエサルの亡骸を回収したのはこの幼馴染の奴隷たちでした。

ローマの家庭における奴隷は家族同然。身分は違えど共に生活し共に成長し支え合う、そういう間柄でした。

 

「奴隷」という身分ではあるが立派な職もあり、ローマ市民の義務である税金もないことで、ローマ人でありながら奴隷の身分に鞍替えする人もいたとか。広く捉えると古代ローマ社会の「奴隷」は冒頭に示した、いわゆる僕が知っていた奴隷とは大きく違う。

でも、古代ローマの中でも上のようなケースに当てはまらない奴隷も、きっと多々あったでしょう。結局は主人の性質に左右されざるを得ないのが奴隷制度の中の奴隷であり、中にはローマ社会であっても過酷な労働を強いられ一生を終わる奴隷もいたはず。

だから今回のお話は人身売買が根底にある奴隷制度を美化するのものではないのだけど、古代ローマ社会の考え方、国家としてのローマの方針はブレることなく、身分は奴隷ではあってもその人の能力を最大限活かす仕組みが備わっていたというローマ社会の仕組みは「秀逸」です。

そして一定の条件を満たして、主人が認めれば奴隷が自由民(解放奴隷)になれるのもローマの奴隷の特徴でした。出自に関係なく、能力によって自分の未来を決めるチャンスがある、それがローマ社会であり、奴隷であっても得意なところを尊重して社会の一員に組み込むローマ人の凄さだと感じるのです。

 

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