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東ローマの終焉1 エルサレムとは

東ローマ帝国の運命を決定づけたのは十字軍。その話に行く前に十字軍と最も関わりの深いエルサレムの街について整理しておきたいと思います。

◾️アブラハム

エルサレムとは、キリスト教の聖地であり、ユダヤ教の聖地であり、イスラム教の聖地でもあるという場所。三つの異なる宗教の聖地がなぜ一つの場所、エルサレムという一つの街を聖地とするのか?それは「信仰の父」と呼ばれるアブラハムという人物と唯一の神との契約に始まります。

アブラハムは紀元前2000年のアルカディア(現イラク)の遊牧民でした。旧約聖書の「創世記」ノアの方舟の後に神(ヤハウェ)と契約を結びます。神はカナンの地(現パレスチナ)を与えられること、子孫がたくさん増えて、神はアブラハムとその子孫の神となることを約束します。アブラハムは唯一の神と契約の原点となる人物として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原点とされるのでした。

◾️ユダヤ教

唯一の神(ヤハウェ)とアブラハムが契約を結び、カナンの地を与えられたのがユダヤ人であり、ユダヤ人だけが神のもとに行くことができるとされるのがユダヤ教。「唯一の神と唯一の民」これがユダヤ教の根底にあるのです。

紀元前1000年頃に今のイスラエルとヨルダンがある場所にユダヤ人の王国である「イスラエル(ヘブライ)王国」が建国されます。二代目ダヴィデ王がエルサレムをその首都と定めイスラエル王国は大きく発展、三代目ソロモン王の時に最盛期を迎えます。ソロモン王は「神が住む場所」として神殿を建て、人々と神の距離を近づけました。現在の嘆きの壁はこのソロモン王が建てた神殿の壁でした。

*イタリアはフィレンツェのヴェッキオ宮殿前に立つミケランジェロ作のダヴィデ像

ユダヤの人々はその後、長い受難の時代を過ごします。紀元前8世紀にアッシリアに、紀元前6世紀はバビロニアによって国を滅ぼされ、多くのユダヤ人が捕虜としてバビロニアに連れ去られる(バビロンの捕囚)といった苦難を強いられるのですが、ユダヤの人々はエルサレムに留まり続けるのでした。紀元前1世紀にはエルサレム一帯はユダヤ属州としてローマの支配下となります。

多神教のローマに対して、一神教であるユダヤ教は折り合うことができず、ユダヤ人はたびたびローマに反抗、66年〜73年にエルサレムを舞台に「第1次ユダヤ戦争」、132年〜135年に「第2次ユダヤ戦争」が起こります。

「第1次ユダヤ戦争」では皇帝ネロの治世に反乱が始まり、のちに皇帝としてコロッセオを建設することになるヴェスパシアヌスを派遣。しかし鎮圧の途中で皇帝ネロが自殺しローマが大混乱に陥ったことで、ヴェスパシアヌスはローマに戻り、結果的に長男ティトゥスがローマ軍団率いてエルサレムを陥落させます。

*ローマのフォロ・ロマーノに残る第1次ユダヤ戦争の勝利を記念したティトゥスの凱旋門

その約60年後の「第2次ユダヤ戦争」では皇帝ハドリアヌスの治世で第1次ユダヤ戦争で破壊されたエルサレムの街をローマの街として再興する計画にユダヤの人々が反抗ますが、ローマ軍団によって135年に再びエルサレムは陥落します。ローマは敵であっても戦いに勝った後は自治を認めたり元々の宗教を容認したり「ローマの寛容」を貫きます。しかし一度許した相手がその後、再びローマに反旗を翻したときには容赦ありませんでした。第2次ユダヤ戦争の後、ローマはユダヤ教の指導者たちを処刑し、ユダヤ属州は「シリア・パレスチナ」と改名され、ユダヤの人々はエルサレムから、イスラエルの土地から追放され、各地に離散してしまいます(歴史上ディアスポラと呼ばれる出来事)。

約200年後の4世紀になって、皇帝コンスタンティヌスによってようやく1年に1回だけ、ユダヤの人々が祈りを捧げるためにエルサレムに入ることを許されます。現代まで「嘆きの壁」と呼ばれるその壁は、イスラエル王国最盛期にソロモン王が、神の存在をユダヤの人々の近くにと建てた神殿の西壁で、ユダヤ戦争の破壊で唯一残された神殿の名残でした。

多神教国家であった古代ローマにあって、一神教であり、選民主義だったユダヤ教は「自分達と契約した唯一の神」以外のローマ神々を受け入れることはできず、反乱を起こし最後は徹底的に排除されてしまうのです。

ユダヤの人々にとってエルサレムは過去、栄華を極めた祖国の首都であり、唯一残された神に最も近い祈りの場なのです。

 

◾️キリスト教

紀元前5年頃、ローマ属州だったベツレヘム(現ヨルダンのあたり)で、ユダヤ人としてイエスは生まれたのですが、やがて神と契約するのはユダヤ人だけでなく「すべての人民が神の愛によって救済される」としたのがキリストの教えで、ガリラヤ湖で説教を始めたと言われています。実際にイエスが教えを説いたのは磔刑に処される前の3年ほどらしいのですが、イエスが十字架で磔刑に処されるまでに説かれた教えを、12人の弟子たちがイエスを旧約聖書に記される「救世主」であるとするキリスト教として、ユダヤ人以外の全ての人々に広めていきました。

キリスト教の母体はユダヤ教であることから、旧約聖書と後にイエスの弟子たちが編纂した福音書や黙示録などをまとめた新約聖書がキリスト教の聖典とされます。

キリスト教の神はユダヤ教と同じアブラハムと契約を交わした唯一の神(ヤハウェ)で、ユダヤ教徒と同じく、当時の支配者であるローマ(多神教)社会とおりが合わず、たびたびトラブルを起こし、迫害の対象となってきました。しかしユダヤ教の末路を目の当たりにして学んだキリスト教徒は、それから300年かけてローマ社会の中枢に入り込み、皇帝コンスタンティヌスの時代、313年のミラノ勅令でついに国家公認を勝ち取ります。さらに皇帝テオドシウス1世の時代、394年にはついにキリスト教はローマの国教となりました。

キリスト教の三位一体「父(唯一の神)と子(イエス)と精霊(神の愛の力)」はローマ皇帝を跪かせる存在となり、キリスト教は迫害される側からローマ帝国を支配する側となったのでした。

キリスト教徒にとってのエルサレムは、母体となるユダヤのダヴィデ王が首都と定め、ソロモン王が「唯一の神」が降りてくる場所である神殿を建てた場所であり、イエス・キリストが愛と救済の教えを説き、「最後の晩餐」を催し、裁判を受け、磔刑に処され、復活はじめ数々の奇跡を見せた最も神聖な場所になるのです。

*ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエにあるレオナルドによる「最後の晩餐」

 

*ベルギーのアントワープの聖堂に掲げられるルーベンスによる「キリストの降架」

キリスト教徒は現在世界で約24億人(全世界人口の約1/3)、世界で最も信者の多い宗教となっています。

 

◾️イスラム教

7世紀にイスラム教の預言者ムハマンドがメッカの山の洞窟の中で大天使ミカエルから唯一の神(ヘブライ語でヤハウェ、アラビア語でアッラー)から啓示を受けた。唯一の神は、ムハマンドに対して「ユダヤ教もキリスト教も神の教えを歪めている」とし、ムハマンドに真の啓示「コーラン」が与えられた、というのがイスラム教の始まりと言われます。

預言者ムハマンドは、神はユダヤ教もキリスト教も否定して、自分達が唯一正しい信仰の継承者であるとした。ユダヤ教の成立から約1600年後、キリスト教の誕生から約600年後、それぞれを否定する真の宗教としてイスラム教はアラビア半島で生まれました。ムハマンドは掲示を受けた場所「メッカ」を聖地と定め、さらにアラビア半島から西へと領土を拡大していきます。

ムハマンドは晩年、メッカからエルサレムまで旅をして、エルサレムで昇天したと言われ、エルサレムのその場所に現在の岩のドームが建てられています。その場所とはイスラエル王国ソロモン王の神殿があった場所。現在では、嘆きの壁と呼ばれる神殿の壁の上に岩のドームがあるという位置関係です。

イスラム教にとって、エルサレムは預言者ムハマンドが天に昇った場所として、メッカ、メディナに次ぐ第3の重要な聖地に位置づけられています。

現在、イスラム教徒は世界で19億人といわれキリスト教に次ぐ信者数となっています。

 

◾️3つの宗教と一つの神

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ旧約聖書に出てくるアブラハムが契約を結んだ神がそれぞれ唯一の神。約束の地カナン、アブラハムの子孫と唯一の神。おおもとは同じ神を信仰する3つの宗教がエルサレムには集まっている。

7世紀以降イスラム教勢力の対等で聖地エルサレムはイスラム教のものとなります。しかしイスラム勢力が支配するエルサレムではキリスト教の礼拝やユダヤ教の祈りは自由に行われていたといい、3つの宗教がエルサレムで衝突することは意外と少なかったのかもしれません。

 

その反対にエルサレムの外では、イスラム教徒の勢いはどんどん増し、東ローマはじめ西側キリスト教諸国を脅かしていくのです。11世紀大シスマのあとローマのカトリックとコンスタンティノープルの東方正教会に分裂したキリスト教は、巨万の富が眠るコンスタンティノープルに迫るイスラム勢力によって、一時的にせよ、再び歩み寄りを見せることになるのでした。

 

*できるだけ客観的に記述したつもりですが、表現などふさわしくない部分があるかもしれません。そこはご容赦ください。

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