cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 地中海について

僕は「地中海」という場所そのものと、その言葉の響きがとても、たまらなく好きなのです。

日本語でいう「地中海」を表す各国語は

"Mediterranean Sea(英語)"

"Mar Mediterraneo(イタリア語)"

"Mer Méditerranée(フランス語)"

"Μεσόγειος Θάλασσα(ギリシア語)"

なので、日本語の「地中海」は意訳の結果と思うのだけど、この漢字の風合いとか「チチュウカイ」という言葉の響きとか、僕にとっては何とも心地よい。

そして実際に訪れた地中海(エーゲ海含)の何と美しいことか。

どこまでも美しく深い青、エメラルド色の海岸線、点在する島々や海岸線に現れる魅力的な街々の変化に富んだ景色の連続は、争うことなくその魅力に圧倒されるばかりです。

でも僕が惹かれるのは、見た目の美しさと同じくらい、そこで繰り広げられた歴史にあります。地中海はヨーロッパとアフリカ、中東に囲まれたまさに大地に囲まれた海。大洋とはスペインとアフリカに挟まれた狭い狭いジブラルタル海峡によってようやくつながっているのみ。大陸に囲まれた穏やかな海は、古代から船による交易が盛んで、アフリカとヨーロッパの国々との交流はかなり古くから存在したらしい。エジプト人ギリシア人がカルタゴ人、そして古代ローマ人が地中海を渡り、中世以降はヴェネツィア人もジェノヴァ人もピサ人も地中海を縦横無尽に渡り、地中海は地中海を挟んで並ぶ国々の経済を回し、文化文明を交流させ、時には争いの舞台にもなった。

そしてイタリア半島の丘の上にできた小さな国ローマが大きく成長して、その版図を地中海をすっぽり囲む大国にまでなったときに、ローマ人は「地中海」のことを自分達(自国)の内海という意味で「我らの海(mare nostrumラテン語)」と誇らしくと呼びました。

あの美しく広い地中海を「我らの海」ですもんね。それは誇らしいことでしょう。

 

これは僕が初めて見た地中海。イタリアのジェノヴァ近く。

 

こちらは息を呑むほど美しく、かつその圧倒的な存在に脅迫されるが如くねじ伏せられた、フランスのニースで見た地中海。

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地中海は僕にとって、憧れとかそういったものを軽く超越した特別な存在なのです。

もし自分が死んだら、遺灰の半分はこの海にばら撒いてほしい。と本気で思っています。

 

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オルヴィエト小話 雨と光と

この日は朝から雨が降ったりやんだりでした。それもかなりの大粒の雨がザーっと降ったかと思うと、スカッと日が差す。

傘を差すとまもなく雨が過ぎ、たたむとすぐに次の雨が落ちる、それを何度も繰り返すとても気まぐれ空でした。僕はこの日一日、雨と傘と格闘し悩まされたのだけど、「雨にぬれたイタリアの中世の街」はとても絵になる景色でした。

 

さーっと世界が暗くなったかと思うと大粒の雨が大量に落ちてきます。でも向こうのほうは少し明るい。

やがて間もなく雨は過ぎ、古い路地に日が差した。

雨に濡れた道の石畳や建物、草木は光を浴びてキラキラと輝きます。

雨があちらこちらから滴り落ち、そのたびに水がはじける。はねる水しぶきは光を纏って綺麗に散る。こんなきれいな街はそうそうお目にかかれない。天気が不順なこの日ならではの風景でした。

 

この日、そんなわけで虹を3回見ました。1回は朝、ローマの空に。2,3回目はここオルヴィエトで。1日にこんなに虹を見たのは生まれて初めて。これもこの日ならではの出来事でした。

古く趣ある街と豪華でエレガントなドゥオモに加えて、この天気のおかげの景色。なんでここに行こうと決めたのか忘れてしまったけど、オルヴィエトに来て本当によかった。

 

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子供たちへ〜 オードリー・ヘプバーンの詩

友人が孫に描いた手紙をオードリーが詩に書き換えて「ときの試練で磨かれる美」という名前をつけたもの。彼女が生涯愛読した詩として知られています。娘たちにいつか、この詩を理解できる年頃になったら読んでほしい。自分勝手な都合で争いをやめない人に読ませたい。

 

ときの試練で磨かれる美

魅力的な唇になるために、やさしい言葉を話しなさい。
愛らしい目を持つために、人のよいところを探しなさい。

おなかをすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりするよ。
1日1回子どもが指で梳いてくれれば、髪はつややかになる。
決してひとりで歩いてはいないことを知っていれば、弾んだ足取りで歩けるはず。

おまえの未来のために伝統を残しておこう。
愛情をこめた人のやさしい慈しみは、けっして失われることがない。

物は壊れたらおしまいだけど、人は転んでも立ち上がり、
失敗してもやり直し、生まれ変わり、
前を向いて何回でも何回でも何回でもあらたに始めることができる。

どんな人も拒絶してはいけないよ。
助けがほしいとき、必ず誰かが手を差し伸べてくれることを覚えておきなさい。

大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。
——ひとつの手は自分を支えるため。もうひとつの手は誰かを助けるため——

おまえの「すばらしき日々」はこれから始まる。
どうかたくさんのすばらしき日々を味わえますように。

 

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オルヴィエト 風景

オルヴィエトの風景を。

 

颯爽と行く老紳士も

 

泣きながら走る子供も

ドゥオモは静かに見守っている。

古い細い路地は古の趣を残し

雨に濡れ

 

輝く街は遥か昔からこの場所に

 

古から、なだらかに続く丘陵によってこの街は潤ってきました。

昔も今も変わることなく。

 

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オルヴィエトのドゥオモ

 オルヴィエトのドゥオモ(Duomo di Orvieto; Cattedrale di Santa Maria Assunta)。Santa Mariaの名前にあるように、フランスで言えばノートルダム(Notre-dame)=聖母マリアを讃える聖堂です。

建立のきっかけは1263年に起きた「ボルセーナの奇跡」でした。ローマ巡礼の途中、オルヴィエト近くボルセーナ湖畔の街に立ち寄った神父はミサで行われる聖体拝領で授けられるパンとワインが実際にキリストの血と肉に変わる「聖体変化」に疑いを持っていました。

ボルセーナの聖体拝領で授かったパンを二つに割ると、血が滴り落ち聖体布を赤く染めた。これがボルセーナの奇跡。

この時の「奇跡の聖体布」を保管するために建立されたのが、このオルヴィエトのドゥオモなのです。

サンタ・マリア・デルフィオーレを初めフィレンツの街を設計したアルノルフォ・ディ・カンビオによる設計で1290年着工しました。以来300年に渡って建設が続きます。時代ごとに建築家も変わり、最初ロマネスク様式のバシリカとして始まった建築様式は徐々にゴシックへと変化、最後はシエナのドゥオモと同じシエナゴシック様式になりました。

オルヴィエトのドゥオモはイタリア・ゴシックの傑作と言われます。

シエナ大聖堂(ジョヴァンニ・ピサーノ1287-1297)のシエナゴシック様式やサンタ・マリア・デル・フィオーレ(アルノルフォ・ディ・カンビオ1294-1302)のファサードプランから影響を受けており、先行する他の聖堂のよいところを参考に作れたファサードはその建築家のセンスによって均整の取れた素晴らしいものとなっています。

旧約聖書新約聖書を題材にした彫刻やモザイク画に覆われた姿はとても荘厳で、モザイク画はオリジナルは14世紀に作られたがその後数百年に渡り何度も書き換えられてきたと言います。現在ファサードを飾るのは聖母マリアの誕生から戴冠までの生涯の物語。

午後、モザイク画に陽があたるようになると聖堂が一層華やかに輝きます。その荘厳な姿をさらに強く神々しく輝かせる。そんな姿はキリスト教徒ではない僕も心洗われた気持ちになります。

 

身廊はロマネスク様式のバシリカ式。円柱や壁は玄武岩とトラバーチンで白と深緑の縞模様となっていて、ウンブリア〜トスカーナの聖堂の特徴となっています。

奥の礼拝堂のあたりはゴシック様式になっているのがわかりますね。

内部のステンドグラス。今まで見てきたものとは異なる特徴的なもの。

上部は各地の教会でよく見られるような色ガラスで聖書物語を描いている。下半分は大理石のような模様をしたガラスがはめ込まれている。これはなんだったのか・・・

内部にはフレスコ画も多数残されていて、荘厳な外観、中部イタリア特有の内部に加えステンドグラスとフレスコ画と美術的価値も相当なものです。

ドゥオモ前広場は大きな模様が描かれている。

他の街のドゥオモに負けず劣らず三百年もの歳月をかけて完成されたオルヴィエトのドゥオモは同時代のフィレンツェシエナの影響を受けながら、至高の領域まで高められました。

小さな街だけど、遠くからこの丘の上に聳えるドゥオモはよく見えただろうし、午後、特に夕方の陽があたってモザイクが輝き、大理石を朱に染めた姿は時代を超えて人々の心を洗い流してきただろう。そしてこれからもこの小さな街の至高の聖堂は存在しつづけるんだろうな。

 

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小話 もう一つの5月4日 

今日5月4日はオードリーヘプバーンの誕生日。

1929年5月4日にベルギーのブリュッセルで生まれたオードリーは子供の頃に第二次世界大戦で凄惨な戦争体験をしています。ナチスドイツに街が占領され、地下に隠れて殺戮の恐怖と飢えと戦い、目の前で友達がなくなっていくのを目の当たりにしたこと、その時救われたユニセフの支援をオードリーは生涯忘れることはなかったといいます。

一部権力者の欲の暴走によって起こる戦争からは破壊しか生まれない。そして権力者の欲などとは何の関係もない一般の人々から、ただその国にいたというだけで、たくさんのものを奪う。コツコツと築き上げてきた財産や平穏な生活と、大切な人の命までも。戦争で犠牲になるのはいつの時代も、どこの地域でも弱い立場の者、そして子供たち。そのことを身をもって体験していたオードリーは晩年ユニセフの親善大使として活動したことを「天命」だと語っていました。

「ハリウッドでの名声によって、自分が動けば世間の目が集まる。悲惨な思いをしている人たちに世界の目を向けることができる」不幸な子供たちを助けることが自分の人生の役割であり、今までの映画俳優としての人生はそのためのリハーサルだった。と。

ユニセフの親善大使として活動していた当時、自身はがんに冒されながら、アフリカなどたくさんの国の難民キャンプに赴きます。もともと細身だった体が、がんに冒され更に痩せ細った状態で子供たちを抱いて癒す姿が世界中のメディアに流れ、世界の目が不幸な子供たちに注がれた。

ユニセフの親善大使時代の演説でオードリーはこう世界に訴えました。

「子どもたちに予防接種をしたり、食べ物と水を与えたりするだけでは充分ではありません。必要なのは、人の破壊衝動という病、それは私たちが大切にしているもの、生命を維持するためのものすべて、呼吸する空気、生命を維持している地球、そして何より大切な子どもたちまでをも破壊してしまおうとする衝動)を癒すことです。

平和の樹立こそが、すべての解決策です」

僕は我に帰る。

人の破壊衝動を滅殺するのではなく、癒すのだと。結局、破壊衝動は人間の本質にあってそれを無くすことはできない。破壊衝動に力でねじ伏せようとすればもっと激しい破壊が始まる。だから癒しをもってその衝動を癒しなだめて表に出てくるのを抑えようという考え方。

 

オードリーはその後間もなく1993年1月20日にトロシュナ村の自宅で63年の人生の幕を閉じることになりました。

 

オードリーがもし今生きていたら、ウクライナの惨状をどう思うだろうか?そしてどう行動しただろう?世界がなかなか決定的な動きをとれない現状で、きっとオードリーにしかできない独自の行動を起こしたでしょう。

一人息子であるショーンさんの言葉によると「母を例えるならば、ビロードに包まれた鉄剣のような人」とのこと。表面上はとても優しく柔らかく滑らかでエレガントなのだけど、その中心には鉄剣のように固く強い意志がある。

尊敬してやまない。

 

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小話 5月4日

f:id:fukarinka:20220416141801j:plainMay the force be with you.

5月4日は"May the Fourth"にからんでスターウォーズの日とされています。スターウォーズといえば善と悪、光と闇の間で葛藤しながら銀河宇宙の平和のために戦ったスカイウォーカー一族の物語。僕は子供の時1作目から全てリアルタイムで見た、生粋のスターウォーズ人。

「理力」など色々に訳される”May the Force”の「フォース」とは、全宇宙に広がり繋がる大いなる力。人の体にも木々や草花にも石ころにも存在しあらゆるものをつなげている。血筋や訓練で扱えるフォースの強さが人によって様々。理性をもって使えば万国民のための平和の力になり、怒り、憎しみ、苦しみ、痛みにとらわれ暗黒面(ダークサイド)に落ちれば破壊の力になる。そのLight sideの最高の使い手が全銀がの平和と調和を司るジェダイ(JEDI)であり、暗黒面に落ちた最強の使い手がダースベイダーに代表されるシス(Sith)の暗黒卿

スターウォーズ世界の人々はこのフォースが宗教のようになって心の中心に存在する。必ず別れの時には「May the force be with you(フォースとともにありますように)」と言い合いお互いの無事を祈り合う。

SFの映画の世界の設定だけど、多分に現代の生活の中でこの関係は実感する。

大きな力を持った人間は本来、理性をもって大きな力をもった責任を負っていかねばなりません。権力をもって欲にまみれ、怒りと憎しみに落ちてしまうとその権力は大きな破壊力をもって、平和に暮らす人々の日常を奪い、一般の人々が築いてきた財産と大切な人の命を奪い、人生を奪っていく。組織の大小、国か地域か会社か範囲はいろいろだけど、トップがおかしくなり暗黒面に落ちるとそこに属する人々、周辺近くにいる人々はとてつもない被害を被ることになる。

今ロシアのウクライナ侵攻が長期化して深刻な被害が毎日報道される。ダークサイドに落ちた人間が世界第2位の軍事力を持っている。最悪の事態だ。世界はこれにどう対処していいのか戸惑いながら今はまだ遠巻きに様子を見ている。でもそうしている間もウクライナの人々の被害は拡大していく。これ以上戦禍を拡大しないために、周りの国々は迅速にかつ同じダークサイドに落ちることなく解決させなければならない。

NATO、国連はあちこちで無力を揶揄され、役に立たないと言われるが、ウクライナの人々の苦しみを解放できる一番近くにいるのがこの国際組織であることに間違いない。どうか現実世界のJEDIとなって、この侵略を終わらせ、ウクライナの人々の人生を守ってほしい。

May the force be with Україна

 

P.S.

マキアヴェリは言いました。

「人間の本質は変わらない、よって人間は時代や国に関係なく相変わらず同じ醜態を繰り返す。だから過去を学び、対策を考えることで大抵のことへの対処が可能である。ただしこの教訓は無視されるか忘れられるかする場合がほとんどで、結局人間は間違いを犯し続ける。」

マスター・ヨーダが言いました。

「暗黒面は、恐れ(fear), 怒り(anger)、憎しみ(hate)、痛み(pain)、苦しみ(suffering)から生まれる」

ウクライナ問題とは比較にならないほど小さいし、実に幼稚な事例だけど、前職場の社長は能力も人間的にも中途半端なまま「社長という名札」をもらってしまった。実力のない権力欲丸出しの人間がトップに立ってしまい、社員はじめ周辺にも迷惑をかけまくっている。大風呂敷を広げては何も実現できず、社員からは呆れられ、迷惑であると同時に「笑いもの」として扱われている。笑われるだけならいいが会社の社長として社員への影響はそれなりに大きい。それで能力のある転職できる人からどんどん会社を辞めている。多分それもあの社長は自分のせいだとは思ってないだろう。

ちっちゃい社長の社会的な影響は皆無に近いが、その組織に居ざるを得ない社員はたままったものではない。

これに対してもJEDIみたいに欲に落ちることなく、何をされても怒りも憎しみも抑えて対処しなければならない。そして不用意な攻撃は相手の痛みとなり、恐れとなってより暗黒の側面が強くなりメンドくさくなる。こちらも事態の収拾へむけて対処が大変だ。

5月4日は僕にとって、いい気づきの日となりそうだ。

 

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