夜行列車で南フランスへ行くときのこと。
安く効率的に移動するために、いつものように「クシェット」という簡易寝台を使う。クシェットは一つのコンパートメントに両脇に3段、六人分の簡易ベッドがあり、シーツとぺったんこの枕だけ貸してくれる。一応ベッドごとにカーテンがあるので、最低の低くらいのプライバシーは確保される。そこに老若男女関係なく割り振られ一晩目的地までを共にすることになる。僕はこのクシェットを何度も何度も利用した。
予約はせず、駅の窓口でチケットを買う場合が多かったけど、時々チケットなしで乗り込み、車掌からチケットを買うこともあった。
この年、ブリュッセルから南フランスのアルルへ向かうため、マルセイユ行きの夜行列車にチケットなしで乗り込んだ。
列車がブリュッセルを出発してしばらくの間、クシェットのベッドを確保するために通路に立って車掌を待った。ほどなくして車掌が細い通路をこちらに向かって歩いてくる。最初はにこやかにしていた車掌だったけど、チケットがないと知ると少し表情が曇る。その後どこまで行くのか、のやりとりで一悶着起こった。
僕の行き先は「アルル」。このままカタカナ発音しても全く通じない。Arles(アルル)とフランス語の発音で言わなければならない。フランス語で「r」の発音は日本人にはとても難しい。口の奥を詰まらせるように「ンゴッ」みたいな音を出さなければならない。大学の第2外国語ではフランス語を勉強していたので、その難しさはよく知っている。その時、学生時代にフランス語習っておいて良かった。。。と思いながら「Arlesまで」とフランス語のつもりで車掌に告げる。すると車掌は「何?」と眉をひそめて聞き返してくる。もう一回「Arles」というが通じない。このやり取りを何回かやって、でも通じず。仕方ないので最後はArlesと書いて分かってくれた。この時、僕は当時の日本の言語教育に対して、自分のことは棚に上げつつ「実戦で役に立たない!」と嘆いた。
その後も、車掌は「Arlesだ。言ってみろ」、僕は「Arles」、「違うArlesだ!もう一回言ってみろ」というやり取りを3、4回繰り返して「ダメだお前は。。」みたいな感じで去っていった。完敗。
でもこの車掌は東洋人の若造を暇つぶしにからかわれていただけだったのかもしれない。この時あれほどダメ出しをされた「Arles」の発音。別の日に南仏で間違った列車に乗って眠りこけてしまい全然知らないの田舎の駅に着いてしまうというトラブルでアルルに戻るための列車に乗ろうとしたとき、乗り込む前に「これはアルルへ行くのか?」と駅員に聞いたら、あっさり「そうだアルルにいく」と返事が返ってきた。やっぱり、あの車掌は暇つぶしに僕をからかっていたんだろう。。。。それともあの車掌に鍛えられて上手になったのだろうか??
当時、フランス人(フランス語圏人)は英語を話さない、話すことができても使わない、と聞いていた。当時確かに、フランス語圏に行くと(相手が英語を使えるかどうかわからないけど)他の国に比べ英語が通じない、喋ってくれないと感じることが多かったように思う。でもそれが日本人みたいに本当に話すことができない人が多いのか、ポリシーとして英語は話さないのか、正確なところはわからない。
別の年、パリからブリュッセルに向かう列車に乗った時、隣のボックス席にフランス人の3世代の家族がいて、おばあちゃんが5歳くらいの女の子に一生懸命英語を教えていた。聞き耳立ててみると、
おばあちゃん:「さあ言ってごらん、I don't speak English」
孫:「I don't speak English !」、一同「すごいね!(拍手)」
こんなやり取りが数回続いた。
I don't speak English. = 私は英語を話しません。私は英語を話せません。
当時の自分にはおばあちゃんが孫に、「あなたはフランス人なのだから英語で話しかけられたら、私は英語を話しませんって言いなさい」と教えているように思えて、フランス人はこうやって英語を排除するように教育されるんだ。。と妙に納得してしまった出来事だった。
あれから20年フランス語圏の人々はどうなっただろう?英語喋ってくれる人は増えただろうか?
そういえば日本は随分変わった。昔はフランス以上に外国人に冷たい(と思われても仕方ない)国だったけど、この20年の間に外国人観光客(または在住者)を受け入れるために大変な力を入れてきたと思う。
でも、観光地や街の表示は英語とせいぜい韓国語と中国語。日本人のほとんどは今でもフランス語を話せない(英語もまだまだだろう)。フランス人からすれば日本は冷たいと感じることも多いのだろうな。