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旅行の記憶と何気ない日常を

バルセロナを歩く

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紀元前6世紀ギリシア人が、その後カルタゴフェニキア)人がこの地に住み着いてバルキノという街を作ったのがバルセロナの始まり。昔ながらの細い路地が絡み合い、人々の熱気が絶えない旧市街、19世紀、産業革命の成功でわく中整備された洗練された新市街。バルセロナはスペインの街ともヨーロッパの街とも違う個性がある。

 

アシャンプラ地区〜新市街

19世紀、産業革命の成功に伴い新たな都市計画が立てられた。旧市街の外側に碁盤の目状に区画整備がされました。この時期は産業革命で富を得たブルジョワ達が競って目立つ建築を建て、多くの建築家が自由にその個性を競った時代でした。

一般的には”アールヌーボー”と呼ばれる19世紀末芸術、似て非なる芸術のムーブメントがスペインでは”モデルニスモ”という形で花開き、その中心はバルセロナでした。

アントニ・ガウディも実業家エウセビオ・グエルというパトロンと出会い、多くの建築をバルセロナに残しました。

グラシア通り、ガウディの建築は、タダでさえ奇抜な建物の多い新市街にあっても更に目立ちます。

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旧市街

細い路地がごちゃごちゃ入り組んでいて何度も道に迷ったけど、目に入ってくる景色はとても楽しかった。

ゴシック地区に建つカテドラル。元々ロマネスク様式の教会が建っていたのを1298年から150年かけて現在のゴシック様式に建て替えられました。 バルセロナの歴史はここゴシック地区から始まっていて、19世紀に新市街への都市拡張がされるまでは、ここがバルセロナの中枢でした。

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ランブラス通り

海岸から新市街の入り口までゴシック地区を貫くとてもにぎやかな通り。この通りのそばにはリセウ劇場、グエル邸、サンジュセップ市場、レイアール広場など観光名所が多い。

写真はランブラスに残るジョアン・ミロのモザイク画。

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バルセロネータ

都市計画で地中海に面して作られた人工の海岸を含めた地区がバルセロネータである。 バルセロネータ入り口にはミロのオブジェが建つ。 

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 バルセロネータは人口の海岸。大好きな地中海をのぞむ。

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コロンブスバルセロナ

海岸沿いにバルセロネータからランブラスの付け根までのびる。ランブラスとぶつかる辺りには新大陸発見に送り出したコロンブスの記念塔が建っています。コロンブスは新大陸を発見したジェノヴァ生まれのイタリア人。僕はバルセロナで「なんでここにコロンブスが?」と思いました。

1492年に新大陸を発見したコロンブス。スペインの王がコロンブスの航海を支援していました。翌1493年に大航海の末にスペインに到着したコロンブスは、当時バルセロナにいたスペイン王に新大陸発見の報告をした。意外でした。バルセロナに行かなかったらそんなこと、ずっと知らずにいたでしょう。

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 コロンブスバルセロナに到着して、この王の広場からスペイン王に謁見したといいます。

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 コロンブスの新大陸発見のおかげで海上貿易の中心は地中海から大西洋へと移ります。このことは地中海貿易により大きな富を得ていたカタルーニャ経済衰退する原因となってしまいました。ちょっと皮肉な事実です。 

 

 

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