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旅行の記憶と何気ない日常を

ヴェネツィア 9 島々〜サン・ジョルジオ・マッジョーレ

f:id:fukarinka:20210626115220j:plainSan Georgio Magiore

「水辺の貴婦人」と呼ばれるこの島は、サンマルコ小広場から眺める「海の景色の美しさ」を決定的なものにしています。ゴンドラ越しに見る海とサン・ジョルジオ・マッジョーレの鐘楼とクーポラのシルエットは息を呑むほどの美しさです。

サン・ジョルジオ・マッジョーレへはサンマルコ広場からすぐ、水上バス(ヴァポレット)で気軽に行き来できるので、僕はサン・マルコ広場の鐘楼の上からこの島を見てからというもの、何度もサン・ジョルジオ・マッジョーレ島に出かけました。

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美しいクーポラと鐘楼をもつサン・ジョルジオ・マッジョーレ教会は1610年に完成しました。

 

サン・ジョルジオ・マッジョーレ島からのサン・マルコ広場の眺めは、それはすばらしいのです。そして、人もそれほど来ないのでとても静か。朝、夕方、何度となくヴァポレット(水上バス)でここを訪れて、この石に腰掛けて、時々はじける波に服を濡らしながら、サン・マルコ広場がいろいろな色に染まるのを眺めるのが、僕は大好きでした。

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 特に昼間にここに来ると、サンマルコ広場の人混みと喧騒が嘘のよう。ここからも人波のうねりがよくわかります。同じヴェネツィアに居ながら、しかもこんな近くでかたや人混みの中、もう一方では海を挟んで静かに奇跡の景色を堪能できる。こんなコントラストを感じるのもヴェネツィアならではかもしれません。

そして改めて、このドゥカーレ宮殿と鐘楼、二つの円柱の立つここがヴェネツィアの玄関口であることを再認識するのです。

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 そして、静かで眺めが最高のここでは時間の流れがゆっくりで、人々の過ごし方もサン・マルコ広場とは全然違う。

このおじさんは地元の人。サンマルコ広場を眺めながら、贅沢な釣りです。

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このふたりはそれぞれ、サンマルコ広場を背にしてスケッチ。ふたりの向こうには大運河(Canal Grande)の果てに構えるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ

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僕も旅ノートにスケッチ。上の二人とは雲泥の差ですが。。。

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そして、この時の旅ノートにはこんなことが書かれていた。

「またここに来よう」

次はいつここに行けるだろう?

 

この時はもうすぐ日が沈む時間。

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 サン・ジョルジオ・マッジョーレ島は、ヴェネツィア滞在中何度も訪れることになりました。

波打ち際の石に座って見た、いろいろな色に染まるヴェネツィアを次回。

 

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ヴェネツィア 8 鐘楼(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210630015116j:plainサンマルコ広場に一際目立つ、独立して立つ鐘楼(Campanile di San Marco)。

下は煉瓦で構成され、5つの鐘が収まる鐘室はロマネスク風のアーチに囲まれます。その上のピラミッドのような尖塔に大天使ガブリエルが立ちます。

 

このサン・マルコ広場の鐘楼はドージェ・トリブーノにより、船着場の見張り台として9世紀に建てられました。地震や火災の被害に遭いながら1512年に現在の姿に完成しました。

1902年には地盤が崩れて倒壊。1912年に再建され今に至る。

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現在はエレベータで鐘室まで上がれます。

そして鐘楼の上からヴェネツィアが一望できるのです。

 

まずサンマルコの大広場。長方形ではなくて台形しているのがよくわかります。

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サンマルコ大聖堂側。5つのクーポラが特徴的なフォルム。向こうに海、左手にサンミケーレ島が見えます。

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鳩と一緒にサンタ・マリア・デッラ・サルーテを。

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朝方、ドゥカーレ宮殿越しにラグーナ(干潟)を眺めます。

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 無数の船が行き交う。数えきれないほどの大小たくさんの船が縦横無尽に行き交います。これもヴェネツィアならではの景色です。

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サンマルコ小広場、旅人を迎える聖マルコと聖テオドールの円柱。

桟橋にはたくさんのゴンドラが停泊中。

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視線を海の向こうへ向けると、なんとも美しい島があることに気づきます。

サン・ジョルジオ・マッジョーレ島(San Giorgio Maggiore) です。

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 いてもたってもいられず、つぎはあそこへ行ってみることにしました。

 

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ヴェネツィア小話 傾いている

f:id:fukarinka:20210710012513j:plainヴェネツィアでの僕の宿は、ため息の橋からすぐ近く。サンマルコ広場まで歩いて3分、すぐ出かけられるホテル・トロヴァトーレ。そしてここはこんな場所なのに財布に優しい。いろいろな意味で良いホテルでした。

おかげで僕は朝昼晩、夜明け前、深夜にサンマルコ広場に出かけ、いろいろな広場の表情を見ることができたんです。

ホテルの部屋は1階。中庭に面した窓の景色は決して絶景ではないけれど、値段からしたら必要十分以上の部屋でした。

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一通り、ヴェネツィアの街を歩いて部屋に戻り、初めてベッドに寝っ転がって、何かの違和感を感じて周りを見回してみた。

すると、さっき閉めたはずのクローゼットの扉が片側空いている。起き上がって扉を閉めるが、閉めた扉はゆっくりと自動的に開いていく。。。

三半規管ちょっとした違和感。まわりをよく観察してみると。。。この部屋傾いている。

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クローゼットも壁にかかる絵の額も、そして天井から下がっているライトも少し傾いている。いや、部屋が右下がりに傾いているので部屋の縦横のラインからいろいろなものが傾いて見えるのです。ビー玉床に置いたら、すごい勢いで転がっていくんだろうという感じです。

 

海の上に存在するヴェネツィアの街は、時折建物の負荷に耐えられず傾いたり歪んだりするところが出てくるわけで、その一つが僕が滞在したホテルです。

そしてもう一つ、目に見えて傾いているものを街の中で見つけました。

どうみてもかなり傾いています。これは斜塔です。

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 どこぞの教会の鐘楼なんですが、このまま倒れてしまいそうな勢いの傾きです。驚きました。傾いている側に住んでいる人々は気が気ではないのではないか?

 

ヴェネツィアは干潟の上に建てられた街。

ヴェネツィア人は街をつくるため、建物を建てる地盤を確保するために、数えきれないほどの木の杭を地面に打ち込んだのでした。建物の、いや街そのものの基礎としてヴェネツィアの地下には夥しい数の木の杭が、干潟のゆるい地層のはるか下にある、硬く安定した地層まで隙間なく打ち込まれているんです。

そんな土地なので、普通の街よりも土台が不安定なところが多い。

いや違うな。。。発想の順番としては、そもそもこんな干潟の上に建物なんてこと自体がおかしくて、そんなところに家や教会を建てて地盤沈下や傾くなんてことがほとんど起きず500年も1000年も存在してるというのが、奇跡的にすごいことであり、どちらかというと「よくぞこんな場所にここまで安定した土台を築いた」という表現の方が正しい。ヴェネツィア人がいい加減な人たちであれば、そこらじゅうが傾いて、今ここにこの奇跡の街は残っていなかったでしょう。

 

僕は傾く部屋に毎晩帰り、その度にこの街の凄さを実感するのでした。。。

 

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ヴェネツィア 7 ため息の橋(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210626115346j:plainため息の橋 (Ponte dei Sospiri)

ちょっと寂しげ、バロック様式のきれいな橋はドゥカーレ宮殿の脇にひっそりとあります。この寂しげな物憂げな様子は、ドゥカーレ宮殿内の法廷から牢獄へ直接つながる橋と聞けば納得です。

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ふと吸い込まれてしまう美しいバロックの橋は、1602年ドゥカーレ宮殿の裁判所と牢獄を結ぶために造られた。

この橋を境に建物の様子ががらっと変わります。橋の右側は牢獄。壁、床、明かりの取り方、すべてが陰鬱。橋の左にある、きらびやかなドゥカーレ宮殿とのコントラストは強烈です。

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実際にドゥカーレ宮殿から牢獄へため息の橋を渡ります。陰鬱な廊下を進み、この石の窓から人で賑わう外を眺めると、なんだか囚人になった気分を味わえます。

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 囚人たちはここを渡るたびに、この橋のこの窓から外のにぎわいや外の空気を感じながら、こちら側の重苦しい現実を噛み締めて、ため息をついたんだろう。

そんなため息つくことのない人生を送ろう。

 

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ヴェネツィア 6 ドゥカーレ宮殿(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210626115346j:plainドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)

9世紀ころに外敵からヴェネツィアを守る城塞として、また総督「ドージェ」の邸宅として建てられたのがこのドゥカーレ宮殿の始まり。やがて行政、立法、司法の機能を併せ持つヴェネツィア共和国の中枢として、歴代ドージェによって進化していきます。

12世紀:ドージェ・ツィアーニが要塞として拡張。ほぼ現在の規模に

14世紀:ドージェ・グラデニーゴが会議場と公文書局を併せ持った宮殿へ

15世紀:ドージェ・ステーノが海側にゴシックの大窓を設け、また海側と小広場側の様式を統一。という具合に。

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現在見られる宮殿の姿になったのは1457年。共和国の経済力の増大に伴い拡大改築を重ね、共和国政府の中枢に相応しい、ヴェネツィア・ゴシックの傑作と言われる建物となったのでした。

*紙の時代のドゥカーレ宮殿のチケット

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一方で、内部はヴェネツィア共和国の力を誇示するために「各国大使に対する威圧」を目的とした重厚な装飾で覆い尽くされ、全体的に暗く重苦しい雰囲気が漂っています。

そしてドゥカーレ宮殿内部の最大の特徴は「油絵の洪水」。

政治にまつわるいくつもの部屋があります。十人委員会の間、元老院の間、謁見の間、羅針盤の部屋、緋色の部屋、盾の部屋、地図の部屋・・そこには壁や天井に所狭しと絵画に埋め尽くされています。それらはヴェロネーゼ(Paolo Veronese)、ティントレット(Tintoretto)、ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)、といったヴェネツィア派の画家達が描き込んだ絵がスペースを奪い合うように存在するのです。

その究極の部屋がここ「大評議会の間」

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宮殿最大の部屋。正面には1588-1590にティントレットが描いた世界最大(7 x 24m)の油絵「天国」。そのほか床以外のとほとんどが無数の油絵で埋め尽くされています。

 

「ドージェ」は大評議会によってヴェネツィアの名家から選ばれる終身職。共和制をしいたヴェネツィアでは権力集中と独裁を防ぐために様々な制約をドージェに課したと言います。ドージェはこの部屋で選出され、ヴェネツィアの統治を取り仕切り、全うするとドゥカーレ宮殿内に肖像画が掲げられます。ヴェネツィアが存在する限り「アドリア海の女王、ヴェネツィア共和国のドージェ」として永遠にその名前と姿が残るのです。

 

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ヴェネツィア 5 サン・マルコ大聖堂(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210626115240j:plainサン・マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)

5つのクーポラをもつ独特なフォルムのサン・マルコ大聖堂。聖マルコ(新約聖書福音書記者)を祀るこの聖堂は、ビザンチン様式を基本としながら時代を経てゴシックやルネサンス様式が織り交ぜられた、オリエントとヨーロッパが融合した見事な建築です。

*生い立ち

ヴェネツィア人は国の格を高めるため「国の守護聖人」を探していました。ヴェネツィア商人を各地に派遣して守護聖人を探し求め、ついに828年、当時イスラム教に支配されていたエジプトのアレクサンドリアにある僧院に「聖マルコの遺骨」があることを突き止めました。聖マルコは福音書を記した聖人として十二使徒の次に格つけられ、ヴェネツィア守護聖人として申し分ない。二人のヴェネツィア商人は僧院から「聖マルコの遺骨」買い付け(密買)ました。密輸が発覚しないように聖遺骸はイスラム教徒が忌み嫌う豚肉に覆われ守られるように運ばれて、ついに聖マルコは何の縁もゆかりもないヴェネツィアに到着。守護聖人としてヴェネツィア人に熱狂的に迎えられたのでした。

サン・マルコ聖堂はその時から聖マルコの遺骨を安置するために建設が始まり、さらに11世紀の改築を経て、今の姿に完成したのは15世紀になってからでした。聖マルコは今もこの聖堂に眠っています。

またサン・マルコ聖堂は共和国総督(ドージェ/Doge)のための礼拝堂として位置づけられていました。寺院、大聖堂でありながら大司教座が置かれるようになるの19世紀になってからで、それまでの800年間は、ここには聖職者はおらず、ドージェが選ぶ「参事会員」と呼ばれる係によって管理されていたといいます。このこともヴェネツィアならではと言っていいかもしれません。

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ファサード

聖堂は正面に5つの門・アーチをもち、破風部分には「聖マルコの遺体の収容」の場面がそれぞれモザイクで描かれています。

 

サン・マルコ大聖堂には1204年、第4回十字軍遠征でコンスタンティノープルから持ち帰った質の高い「戦利品」が多数みられます。中央の門のアーチ上に見える「4頭の馬のブロンズ像」はその代表的な一つ。

この馬像は紀元前4世紀古代ギリシアの彫刻家リュシッポスによる作品。

それが後世コンスタンティノープルに渡り、

1204年に十字軍遠征時、当時のドージェ・タンドロが戦利品としてヴェネツィアに持ち帰り、サンマルコ大聖堂のファサードに置いた。

さらに

1798年にここを占領したナポレオンが、これまた戦利品としてパリに持ち去った。

そして

1815年オーストラリアの介入でヴェネツィアに返還された。

この馬像の歴史はちょっと複雑。現在本物は聖堂内に置かれ、外にあるのはレプリカです。

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*聖堂内部

ビザンチン様式の聖堂は中央の身廊、左右の側廊の長さが等しいギリシア十字の三廊式。五つのクーポラによる高さ28.25mの広い内部空間内部空間が広がっています。

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そして壁面は黄金のモザイク画で埋め尽くされています。

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クーポラの小さな窓から光が差し、黄金のモザイクを照らす様子は神々しい。

 

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 ヴェネツィア共和国は1381年キオッシアの戦いで宿敵ジェノヴァを破り、地中海の制海圏を手に入れます。そしてオリエントとの貿易で莫大な富を築いたヴェネツィアは、その象徴であるサン・マルコ大聖堂にもその富をつぎ込んだのでした。各地で得た豪奢な戦利品の修蔵、煌びやかな黄金と2000もの宝石をあしらった主祭壇の衝立、壁面全体をおおう黄金のモザイク画。

アドリア海の女王となったヴェネツィアの精神的支柱でありつづけるサン・マルコ大聖堂ヴェネツィアの繁栄と重なって、「黄金聖堂(Basilica D'oro)」となっていったのでした。

 

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ヴェネツィア 4 風景〜サン・マルコ広場「昼」

f:id:fukarinka:20210628004619j:plain 昼間のサンマルコ広場の様子

観光客の数もさることながら、鳩の数はまた想像を絶するものがあります。

広場を歩くとまるで鳩の海、または鳩の雲の中を行くが如く。鳩の群れを引き連れて進むような、踏んづけてしまうのではないかと心配もしながら広場を行くのです。
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鳩は子供達の恰好の遊び相手。あちこちで可愛い歓声が響きます。

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中には鳩に遊ばれちゃう子も。。

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 鳩の海に降り立つ天使。

海という表現、本当に波打つように鳩たちがうごめくのです。そんな海の中で過ごす子供たちはどの子も天使のよう。

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 サンマルコ広場の海側、小広場は鳩より人の海でした。

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