cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

愛すべき仕事人 パン職人になったKb

今回は僕の同期でエンジニアからパン職人に転身したKbのお話し。

Kbは同期入社で新入社員の時から顔と名前は知ってる仲だった。でも彼は元々生産技術という別の部門にいて当時ほとんど交流はなかった。これから話すKbとの関係ですっかり忘れてしまっていましたが、Kbはまず仕事の面でとても思い出深い人物だったことを今思い出しました。それはしんちゃんと立ち上げた思い出深い製品の開発で、僕は製品の開発者としてKbは生産装置の開発者として一緒に新しい生産装置を立ち上げた仕事仲間だった。そうだったそうだった。当時僕が考案した方法で立ち上げようとした装置がなかなかうまくいかず、毎日夜遅くまであーでもない、こーでもないとデータをとり試行錯誤を繰り返し、一緒に頭を抱えて唸っていた仲間でした。一進一退繰り返す中、ある日のKbのボソッとつぶやいた一言が一気にブレイクスルーに繋がって、寸でのところで装置は完成して、無事あの製品を世の中に送り出すことができたんだった。。。

 

その後、Kbが異動願いを出して僕の部門に異動してきた頃から、「仕事仲間」から「なんだか面白い仲間」に変貌していったのです。

Kbは生産装置を作る側から、製品そのものを設計する立場に変わったわけで、これはこれでKbにとっては大きな環境の変化と言える。そんなKbの環境変化に早く対応できるように僕は仕事の面でサポートした。Kbはある日、部門の技術報告会の中で、Kbが考案した方法について、自分の名前にちなんで「Kb法」と名付けたユーモアのあるプレゼンをしたのでした。このKb法にちなんでここではKbと呼ぶことにしました。

僕は当時、昼食は常に一人でとっていた。仲の良い同期や先輩後輩はいたのだけど一日中仕事をして、日がな一日会社の誰かがほぼ常に周りにいるような状況が僕的にはとても窮屈で、昼休みくらいは何にも誰にも気を使わずに完全にOFFにしたいと思っていた。昼食は広い食堂の誰もいないテーブルで一人で過ごすのを常としていたのでした。そんなある日、異動したばかりのKbがフラッと同じテーブルに来て、一緒に昼食を食べることになった。流石にそれを断ることはしなかったので、一緒に昼食を食べたのでした。それ以降、Kbと毎日一緒に昼食を共にする日々が始まったのでした。

最初に何の話題で盛り上がったかは全く覚えてないのだけど、まあとにかく話がはずんだのを覚えています。相手の存在に気を遣うことなく、話の話題にも気を遣うことなく、それでいて話はなんかわからないけど発展して盛り上がっていく。気の置けない古い友人と共に過ごしているという感覚に近かったかな。長い付き合いの相手のように気を使う必要がない気楽さと、お互い話を発展させたがる性質から、話はくだらない話がほとんどだったけど、くだらないことがどんどん発展して膨らんで、気づけば不思議なくらい気づきや発想がそこで生まれることもあった。

僕たちの昼休みの暗黙のルールは「仕事の話をしない」。当時の僕の趣味はといえば、会社で草バスケや草サッカーの草スポーツに明け暮れ、年に一回ヨーロッパ旅行して写真撮ってホームページを更新して、美術館を巡り、ローマ史をかじりという感じ。Kbは車や自転車が趣味でモノのデザインにも興味があったと思う。全然志向は違うけど、ところどころ少しずつ接点がある、お互い自分の好きなものに哲学持ちつつ自分にない部分に興味を持って影響しあう、そんな関係だったのも良かったのかもしれません。

そして、ある昼休みの話題は「人生楽しく生きるために」。その時、僕もKbも会社の中で何かに規制されながら仕事をするのは「面白くない人生だ」という考えを持っていた。そこで、僕は「会社辞めて家具職人かパン職人になりたい」とボソッと呟いた。「そこで自分が生み出したものを買ってもらうって幸せじゃないかなあ〜」と。Kbはキョトンとした後に、それ面白いかも!と話弾んだのを覚えている。僕の夢は膨らみかけたのですが、僕は「早起き」と「反復行動」が大の苦手で、例えばパン職人として世界初のパンを開発して、ひとつ作るのはできたとしても、それを毎日大量に作るなど、自分はとてもそんなことができる人間じゃない。さらに屈んで何かをすると背中がすぐカチコチになってしまうことを思うと、創造的ものづくりという意味でとても魅力的な家具職人もパン職人も自分にはとても務まらないことに気づく。でも、それを克服する装置やパワースーツみたいなことも考えたのだけど、職人である以上、手作業しないと意味がないな。。。などと色々なことに思いを巡らせ話は発展していった。それ以降も随分長い間、昼休みや休み時間はパン職人のその話題で盛り上がったのでした。

時は流れ、僕はもっと広い世界を見るために転職することにした。Kbとの楽しい昼休みを過ごせなくなるのはとても残念だったけど、自分の能力をもっと活かせる場所を求めて転職を決めた。ただ、Kbとのフリートークの時間はあまりに貴重で捨て難い。Kbとは昼休みは過ごせなくなったけど、辞める前に他の同期も巻き込んで「国連友の会」なる会を結成したのでした。仰々しい名前のこの会で何をするかといえば、定期的に集まって、国際連合加盟国の料理を食べ尽くす。簡単に言えば「いろんな国の料理を食べる会」。東京にはいろいろな国の料理屋がたくさんあるので、面白いお店を見つけて時々仲間で集まってくだらない話をしよう、という会です。僕らが会を開催したのはチュニジア、トルコ、ネパール、レバノンスウェーデン、ブラジル、ペルー、韓国、イタリア、フランスの料理店。。。会員の誰かが面白い店を見つけて、多い時は月一回この会合は開かれたのでした。国連加盟国193ヵ国の料理制覇を目指したけれど、二十に届くか届かないかくらいのところから、「あの店美味かったよね〜」とリピートもあってなかなか制覇国は増えていかなかった。

そんなある日、国連の会の場で、Kbが会社を辞めることを宣言しました。辞めてどうするのかと思ったら、独身だったKbはしばらく気ままに過ごした後、パン職人になるという。そういえば、いつの頃からかInstagramFacebookには自分で作ったパンやお菓子の写真が多くなったと思ってたけど、まさか本当に本物のパン職人を目指すことになるとは。。。そのキッカケがあの昼休みの会話だったのかどうかはわからないのだけど、パン職人になることを決めたと聞いた時、なんだか先を越されたような、なんとなく負けた気分になった。「会社に束縛されない創造活動」は憧れの世界であるのと同時に、とても厳しい世界。そこに向かって舵を切ったKbには心底尊敬しました。

しかしその後、世の中はコロナウィルスが蔓延、「国連友の会」も活動休止に追い込まれ、なかなか友の会メンバーとも疎遠になってしまった。Kbのパン屋計画にも大きく影響したんじゃなかろうか。昨年ようやくコロナが明けて、徐々に世の中は動き出し、下手をするともうコロナなんてなかったかのような風朝すら感じるまでなってきている。世の中がかつての日常を取り戻しつつあった、そんなある日、KbがFacebookに店舗賃貸の契約を結んだという投稿をしてきた!

久しぶりに連絡を取ってみたらオープンに向けて準備進めてると。コロナに邪魔されても準備は着々と進めていたんだな。いや、逆にコロナを逆手にとって入念に準備を進めていたのだろう。さすがKbだ。

なんとか時間を作って、Kbのパン屋に出かけよう。

 

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com