
祭壇画「最後の審判」
そして天地創造が生まれて30年後、61歳の老齢となったミケランジェロが絵筆を奮い描ききったのが、システィーナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」です。
最後の審判(1536~41年)
「最後の審判」の主題は新約聖書の「マタイの福音書」や「ヨハネの黙示録」で記される最も神聖な教義のひとつ。
「世界の終末、日は暗く、月も消え星は落ち、人の子が天の雲に乗って現れるのを見るだろう」
人類の最後の日に、人々の前に再臨したイエス・キリストが全人類を天国へのぼる者、地獄へ落ちる者を振り分ける審判を下す。

システィーナ礼拝堂正面祭壇画に描いた「最後の審判」は、それまでとは全く違う立派な肉体をもった若々しいキリストが中央で右手を上げ、審判下すために振りおろそうというその瞬間が描かれています。その顔には人類に対して審判を下さなければならない憂の表情が浮かびます。その傍に寄り添う聖母マリアと周りに集まる聖ペテロを筆頭とする聖人たち、そして審判された人々を天国へ誘う天使や、逆に地獄へ引き落とそうとする悪魔たちと地獄の番人、これがシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の13.7x12.2mの祭壇壁面に400人もの人物を描き、この世の終焉を表現しました。
イエス・キリストを中心に時計回りに人々が動いていく。イエス・キリストの左には天国に登ることを許された者、右側には地獄に落ちることを絶望する者、それぞれ様々な人間のドラマが克明に描かれています。
左側の天国へ引き上げられる人々。

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右側の地獄に落とされる人々。

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地獄へ引きずり落とされる代表格、悪魔や蛇たちに捕まり下の方へと引き込まれながら絶望する人。

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さて、システィーナ礼拝堂のこの壁面には元々ペルジーノやギルランダイオが描いた宗教画がありました。あえてこれらを潰して「最後の審判」をミケランジェロに描かせたことには理由がありました。1517年に始まったルターの宗教改革、プロテスタントの反乱、さらには1527年スペインとドイツによって行われたローマ略奪では1万人が犠牲になり、テベレ川には三千人の遺体が浮かぶという「この世の終末」のような出来事が実際に起こりました。こんなキリスト教界の混乱の中、ローマ・カトリック教会は世界に向けてその正当性を示す必要がありました。そしてその絵は誰もが異論挟む余地のない画家が描く必要があったわけです。
教皇クレメンス7世は天井画によって「神の如き」の名声を得たミケランジェロにこの祭壇画「最後の審判」の制作は依頼(命令)する必要があった。ミケランジェロは次の教皇パウルス3世になってから、1536年に制作を開始、約5年もの歳月をかけて1541年にこの祭壇画「最後の審判」を完成したのでした。
人々が、教皇すら平伏すような祭壇画であったミケランジェロの「最後の審判」でしたがその革新的な試みによって存亡の危機が完成直後からついてまわります。
宗教画の決まりである「天使には羽」「聖人には光輪」がないこと、ヘラクレスのような肉体を持ったイエス・キリストも異端視されました。そして何より「もっとも美しいのは神の姿に似せられた人間の体である」という信念を貫いたミケランジェロは「最後の審判」に描かれる人物のほとんどを「裸体」で表現したのでした。聖人も含めたほとんどの人物が全裸で描かれたため、作品の完成度とは別の次元で異端か否かの議論され、後代の教皇たちからの取り壊し命令が何度も出ては消えという危機を迎えました。取り壊しの議論が出るたび、同時代の芸術家たちがこの作品の価値を唱えてそれを思い止まらせたと言います。
ミケランジェロはこの「最後の審判」に自分自身を描き込みました。皮剥の刑で殉教した聖バルトロメオ、この剥がされた生皮がミケランジェロの自画像です。

ミケランジェロは自分自身が彫刻家であることに誇りを持って、彫刻こそが最高の芸術だと信じていました。しかしその才能の多彩さによって時の権力者たちから気まぐれのように様々な作品の制作依頼が舞い込む。そこでは彫刻家である自分が絵を描かねばならないことも多々あったわけで、ミケランジェロは晩年に「自分は権力者たちの奴隷のようだった」と漏らすこともありました。
ミケランジェロはこの聖バルトロメオの生皮の姿に、今までの苦悩や苦痛に歪んだ自分自身の姿を写し込んだということなのでしょう。「神の如き」ミケランジェロは神の如き才能を持ったが故に、神の代理人たちの奴隷にされてしまった。
1545年のトレント公会議によって「最後の審判」は異端審問にかけられた結果、聖人たちに腰布を加筆することが命じられました。公にはこれで取り壊し論争は収まることになるのだけど、後世に渡ってこの裸体表現は蟠りが残り、近代までに合計40ヶ所の腰布や衣服の加筆が行われ、オリジナルのミケランジェロが覆い隠されることになってしまいます。
このトレント公会議で加筆が決まった腰布はとてもエレガントで「最後の審判」の絵ともよくマッチする質の高い腰布になっている。一方でその後の時代に加筆された腰布との見分けは割と簡単でです。
「天地創造」「最後の審判」の溢れる色彩と合計700人もの人物描写は後世の芸術家やクリエイターたちに大きな影響を与えました。
人体表現や色彩表現はルネサンスの後に続いたマニエリスムの礎となり、バロック絵画へと続いていきます。フランスのロマン主義にもその影響は見られる。20世紀彫刻家ロダンもその作品のポージングのヒントをミケランジェロから得ていた。現代ですらいまだに映画のテーマや広告の構図といったところで、「天地創造」や「最後の審判」の一部が使用されたり、着想に使われたりしている。
僕はシスティーナ礼拝堂へ入ってこのミケランジェロに出会った時、ただただ圧倒されるばかりで、天井画から祭壇画へずーっと、長いこと首を上に曲げてミケランジェロ一人で作られたこの作品を眺めていました。僕が目を見張ったのは、ミケランジェロが描いた絵そのものの他に、「最後の審判」の空の色でした。
「ラピスラズリの空」とても高価なラピスラズリを砕いて絵具にしていたミケランジェロは、このラピスラズリをふんだんにその空の色として使いました。そしてこの青は500年と言う時間をものともせず、今でも見事な好きとおような青として残っています。
僕はこのラピスラズリの空に吸い込まれるような感覚を覚えました。そして僕は思ったのです。僕が吸い込まれるのは右か左か。
右で天使たちに手を取られ天国へ向かうのか、左で悪魔に足や腰を鷲掴みにされて地獄に引き摺り下ろされるのか。。。でもこのシスティーナ礼拝堂にいると、そんなことすらどうでもいい事のように思えてきます。