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ヴァチカン美術館4 天地創造

システィーナ礼拝堂のこの小さいはずの空間はミケランジェロのフレスコ画によって無限の広がりが与えられた。ここに入ると、時間も、首が痛いのもわすれ、ミケランジェロが描いた世界に飲み込まれてしまう。そして、あとになって驚くのだ。あのすべては「ミケランジェロ一人によって作り上げられた」ということに。

 

天井画「天地創造」

1508年、時の教皇ユリウス2世は、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描くことを命じます。実はこの直前にユリウス2世はミケランジェロに自らの大理石の墓廟制作を依頼したばかりで、彫刻の仕事にノリノリだったミケランジェロは、このために数ヶ月もの時間をかけた大理石の買い付けを済ませたばかりでした。

1511年 ラファエロによるユリウス2世の肖像(ロンドン ナショナルギャラリー)

教皇の気まぐれに振り回され、彫刻家である自分が絵を依頼された。なぜ絵を描かねばならないのか?当時ミケランジェロ30歳、自分が「彫刻家である」ことに誇りと拘りを持っていたミケランジェロは、ユリウス2世からの天井画製作の依頼(命令)を固辞していました。しかし最終的に教皇の熱意(圧力)に断ることもできず、天井画の制作は開始されました。制作を進めながらミケランジェロは周囲の人たちに、彫刻家である自分が絵を描かねばならない苦悩や、天井画を描くために常に上を向いて行う作業による肉体的精神的苦痛などを漏らしていたといいます。日々苦悩を抱えながらも、4年もの歳月を費やして13 x 36mの天井全体に描き切ったのが「天地創造」を中心にした、旧約聖書「創世記」の世界。

天井画の柱や梁のように見えるものは全て描かれたもので、ミケランジェロは騙し絵的に天井空間を構造物で仕切り、その枠の一つ一つに物語を描いていきました。

中央の長方形で仕切られた空間には旧約聖書の「天地創造」はじめ「創世記」に基づく3つの物語「アダムとエヴァ(イブ)」「ノア」から3つずつ、合計9つの場面が描かれています。上の写真の下から天地創造「光と闇の分離」「太陽と月の創造」「空気と水の分離」、アダムとエヴァから「アダムの創造」「エヴァの創造」「原罪と楽園の追放」、その上にはノアの物語から「ノアの燔祭」「大洪水」「ノアの泥酔」。

そして9つの場面を挟むように、7人の預言者と5人の巫女が大理石の玉座に座り、天井と壁面を繋ぐ帆形の部分には「ユディットとホロフェウス」「ダビデとゴリアテ」といったイスラエルの民の救済物語や英雄たちが、窓に接する半円形の壁面(ルネッタ)にはキリストの祖先たちが描かれている。その登場人物は約300人、その鮮やかな色彩の洪水と共にその場面、その神々や人々それぞれを表す仕草や表情は実に多彩で活き活きとしている。まさに見るものを圧倒します。ミケランジェロは様々な苦悩と不満を抱えながらその仕事は完璧に遂行したのでした。

 

システィーナ礼拝堂の天井画は場面構成、構図、描かれる人々のポーズ、色彩など様々に影響を及ぼしているといいます。同時代の芸術家はもちろん後世に至るまでその影響を受けているといいます。

例えば最も有名な場面といえばこの「アダムの創造」。まだ生気のないアダムに、神の力強い指先から命を吹き込まんとする瞬間です。意識朦朧としているアダムに対して、どこまでも力強い神の姿が対照的。

アダムの創造

そしてこの指と指が触れ合う直前。おそらくここが天地創造の天井画の中での最大のクライマックス。緊張感と期待感が溢れています。

そしてこのモチーフは現代に至るまで頻繁に使用されています。映画では「ベンハー(1959)」の冒頭に登場したり、「E.T.(1982)」のポスターに少年とE.T.の指、映画に関わらず最近でも広告やポスターにこのモチーフが使われるのをよく見かけます。かくいう僕もこのモチーフを使ってHPのシンボルマークを作った、ミケランジェロから影響を受けた一人です(上黒い帯の右端)。

同時代人や後世の芸術家にはその時代ごとに、色彩表現や人物のポージングなどに継続的に大きな影響を与えていて、ラファエロやその後に続くマニエリスムやバロック絵画へ、そしてフランスロマン主義へとその影響は続いていきます。さらに20世紀に入るとロダンは預言者エレニアから「考える人」を創造したと言われています。

預言者エレニア

 

預言者エレニアと向かい合って描かれるのが、古代の神託を授かる巫女たちの美しい色彩や所作も後世に大きな影響を与えました。

これは「リビアの巫女」

リビアの巫女

 

こちらは「デルフィの巫女」

デルフィの巫女

 

ユリウス2世とミケランジェロは共に激情型で頑固という点で似たもの同士だったといい、当時60代の教皇と30代の芸術家は強烈に衝突したといいます。

教皇は制作が思うように進まない天井画の現場を訪れます。天井近くの足場でミケランジェロにこう言い放つ。

「いったいいつになったら完成するのだ?」

これにミケランジェロは

「私ができたと思った時に完成します」と言い返す。

これに逆上したユリウス2世は

「すぐに完成させろ!さもなくばこの足場から突き落とすぞ!」と脅しにかかると

「そんなことはできますまい」とミケランジェロが冷静に切り返す。

システィーナ礼拝堂の天井画が生まれるまでには、こんなヒリヒリするようなやり取りが行われていた。でもこの教皇ユリウス2世の情熱とミケランジェロの才能が同じ場所にあったから、このシスティーナ礼拝堂の天井画は生まれることができた。

 

1512年11月1日に足場が取り外され、ミケランジェロの天井画は公開されました。

当時ヴァザーリが残したその時の記録によれば、「人々は肝を潰し、言葉もなく押し黙ってしまった」といいます。この時から人々はミケランジェロのことを「神の如きミケランジェロ」と表するようになったのでした。

 

そのミケランジェロと火花を散らした教皇ユリウス2世は、この作品が完成した3ヶ月後にこの世を去りました。

 

 

 

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