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ヴァチカン美術館6 システィーナ礼拝堂の修復

僕が1998年にシスティーナ礼拝堂を訪れたときはすでにミケランジェロの天井画、祭壇画は共に修復がおわっていて、ミケランジェロの神の如き仕事を見ることができました。でも、システィーナ礼拝堂にミケランジェロがこの作品を生み出してから約500年、礼拝堂に焚かれた蝋燭の炎による煤がシスティーナ礼拝堂の壁面を黒い膜で覆い、ミケランジェロの色彩を隠した結果、近代のシスティーナ礼拝堂のミケランジェロへの評価は本来の姿とは違う、大きな誤解が蔓延していたと言います。今回は20世紀最大の文化事業といわれたシスティーナ礼拝堂の修復について、紹介したいと思います。

 

◾️闇から光へ

今は眩いほどの色彩に溢れるシスティーナ礼拝堂ですが、1980年代までは「天地創造」も「最後の審判」も「闇に覆われたような」暗く陰鬱なものと評価されていました。

修復前のシスティーナ礼拝堂

1980年から、システィーナ礼拝堂の大修復プロジェクトが動き始めます。ヴァチカンの研究所と日本テレビの共同プロジェクトとして日本テレビが資金提供し、ヴァチカンの修復チームが修復作業を行う。ヴァチカンの腕利きの4人の修復師が14年の歳月をかけて、500年の間に積もり積もった煤と後世の間違った修復を取り除く。それを日本テレビのカメラが独占的に克明に記録する。日本のバブル期だったからこそ実現できた、そんな取り組みが1980年〜1994年に行われました。修復によってミケランジェロが描いた当時の色彩が甦り、現代の人々を驚かせることになりました。

修復後のシスティーナ礼拝堂

◾️闇を取り除くこと

「ミケランジェロの色彩を復活させる」その意味は500年分の煤汚れや後世の間違った加筆を取り除くこと。修復にはこの修復のためにヴァチカンが開発した溶剤AB-57と日本の和紙が活躍します。AB-57は煤汚れや加筆された後世の絵の具を分解する能力があり、日本の和紙はそのAB-57を均等に壁面に染み込ませるためにうってつけだったそうです。少しずつ慎重に作業は進み、浮き出た汚れは水を含ませた海綿で拭き取り、拭き取った水は分析されて、その中にミケランジェロの絵の具が混ざってないことを確認しながら進めるという、気の遠くなるような作業だったといいます。

天井画の修復は、ミケランジェロがこれを描くときと同じ穴を使用して、ミケランジェロの時と同じような足場が組まれ、修復師たちはミケランジェロが描いた時と同じように天井に向かって反りかえるような格好で修復をすることになり、ミケランジェロが描いた時のその苦痛も追体験することになりました。

35年前にローマで買った「名鑑ローマ」から天井画修復の様子

 

修復開始当初は、あまりに鮮やかになりすぎる色彩に、ミケランジェロの絵具も落としてしまっているのではないか?といった批判もあったそうですが、修復チームはその度に、正しく洗浄できているという分析結果を示しながら着実に進みます。天井画の修復は、ミケランジェロがそれを一人で描いたより倍の時間、約9年の歳月をかけて1989年に完了しました。

この天井画の修復によって、見事な色が甦り、ミケランジェロが類まれな色彩画家であったことが改めて認識されることとなりました。

 

◾️最後の審判の修復

天井画の完成から四半世紀後に60歳を超えたミケランジェロが6年の歳月をかけて描いた祭壇画「最後の審判」。1990年から修復作業が始まります。

天井画完成から25年の歳月はミケランジェロの描き方も変化していたことが分析からわかっており、また祭壇近くの壁面は煤汚れの状態もひどく、修復に使う洗浄液も天井画とは違うものが用意されました。また和紙は天井画の時よりもずっと多く使用されたそうです。

 

◾️腰布論争

「最後の審判」は完成当初から人々を感嘆させると同時に大きな論争を巻き起こしていました。

「最後の審判」ではミケランジェロは「神は自分の姿に似せて人を作った。神によって作られた人の姿がこそが最も美しい」という信念から、聖人はじめほとんどの人物は裸体で描かれました。ヘラクレスのような肉体を持ったイエス・キリストの姿もこれまでにはない表現であり、この宗教画としてとても斬新な描写がキリスト教会を中心とした大規模な騒動に発展します。

キリスト教には「公会議」という、全世界の教会から司教が集まりキリスト教の重要事項、問題や教義などの解釈の統一を話し合うための仕組みがあります。公会議はその時の開催地の名前を取って◯◯公会議と呼ばれ記録されます。

1545年に開かれたトレント公会議で「最後の審判」は異端審問にかけられました。ミケランジェロの斬新な「最後の審判」はキリスト教会にしてみると「冒涜」であり、取り壊しに値する、と。その結果、一部に腰布が加筆されることで破壊を免れることになったのです。この時ミケランジェロの弟子たちによって約20ケ所に腰布が加筆されました。その後も時折、同様の論争が起こり、その度に加筆が行われ、間違った修復によるものも含め加筆は全部で40ヶ所にのぼったと言います。トレント公会議の時に加えられた腰布はミケランジェロの弟子たちによってとてもエレガントなデザインがされているのに対して、後世のものは取ってつけたようなものが多い。さらに着衣なども加わったりとミケランジェロのオリジナルをどんどん覆うように加筆されていきました。

 

修復プロジェクトではこの加筆に対して、どのように対処するかで議論となり、その結果トレント公会議によって書き加えられたミケランジェロの弟子たちによる1500年代に加筆されたエレガントな腰布は残し、1700年代以降に加えられたものは取り除くこととなりました。

 

◾️最後の審判の変容

1993年7月に中央のキリスト部分の修復が始まります。ミケランジェロの過去にない斬新なキリストの洗浄が進み、ヘラクレスの肉体持った若々しいキリスト、人類を裁く憂いを纏ったイエス・キリストの色彩がよみがえりその姿がより克明に現れたのでした。

老齢のミケランジェロが描き切った人類終末の場面。500年の煤に汚れた暗黒の世界が、

色鮮やかな祭壇画として復活しました。

1994年に「最後の審判」は修復を完了し、システィーナ礼拝堂のミケランジェロはその色彩と完成当時に近い姿を取り戻したのでした。

 

システィーナ礼拝堂ではその後もペルジーノやギルランダイオなどによる最初に描かれた壁画やラファエロが下絵を描いたとされるタペストリ画の修復を行い、1999年に礼拝堂全体の修復が完全に完了しました。

 

◾️科学的な収穫

修復師たちは修復作業を進めながら、後世にこの作品を残していくための様々な調査も進めました。それによって様々なことが判明します。

・ミケランジェロが使用した顔料の種類は9〜10種類だったこと。

・鉛を含有しない=変質しない顔料を使用していたこと。

・ミケランジェロが描き進めた順番。

・フレスコ画の劣化の要因

・ひび割れの状態と壁の内部状態の確認と補強。

修復作業の中では、ミケランジェロが使った絵筆の豚毛が絵の中から見つかったり、ミケランジェロが制作中によろけて手をついたあとが見つかったり、実にさまざまなことが発見されたようです。

またこの修復で、フレスコ画が受けるダメージが気温の上昇や、外気から入ってくる車の排気ガス成分はじめ、大気の汚染物質によってフレスコ画のベースとなっている漆喰が多大な影響を受けることもわかりました。このことによって現在のシスティーナ礼拝堂は、外壁から侵入する雨や湿気の遮断、温湿度が管理されフィルターによる汚染物質の除去といった内部の完全空調システムが導入され、ミケランジェロはじめシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を様々な劣化要因から守っています。

 

◾️修復の失敗

ヴァチカンの修復チームは長年の研究に基づいた科学的な裏付けのもとに慎重に修復作業は進められ「ミケランジェロの色彩は蘇った」と結論づけました。一方でこの修復プロジェクトは修復開始当初から厳しい意見にも晒された。修復チームは全ての作業を公開することでその批判に一つ一つ答えていくという、こちらも厳しい作業を要しました。実際に何ヶ所かの修復箇所についてはミケランジェロの色彩を洗い流してしまった箇所があることも事実のようで、はっきりとしない部分も含めてその是非についての論争は未だ結論づいていないようです。

 

◾️僕の五感

僕は修復直後のシスティーナ礼拝堂を訪れて、ミケランジェロの色彩の洪水に心地よく溺れました。長い間礼拝堂内にいて天井をずっと見上げて天地創造の物語を辿ったり、デルフィの巫女やリビアの巫女の流麗な姿を堪能したり、最後の審判を遠目に眺めたり、近づいて地獄の様相を目の前にして背筋を凍らせたりして過ごしたのですが、その時に何より一番印象に残ったのは、ミケランジェロが使ったラピスラズリの青でした。「最後の審判」の背景は透き通るような青空で、スイスの山の上で見る紺碧の青ではなく、少しやわらかい青はラピスラズリを削って作られた絵の具によって描かれています。「最後の審判」の背景にミケランジェロが選んだこの色は、500年経ってもその鮮やかさが変わることがない。この空の色に僕は何よりも引き込まれました。

一部の修復に失敗があったにせよ、それが専門家にとっては看過できないものだとしても、多分ほとんどの人たちはシスティーナ礼拝堂に一歩足を踏み入れた瞬間何もかも忘れてミケランジェロの作り上げた世界に飲み込まれていく。この修復は色々な意味で後世に残すものがたくさんある、素晴らしい成果と遺産を僕たちに残してくれたと言えるでしょう。

 

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