cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ヴァチカン美術館3 システィーナ礼拝堂

Cappella Sistina / システィーナ礼拝堂

教皇専用の祈りの場所として、またコンクラーヴェと呼ばれる次期教皇を選出する神儀が行われる場所として、システィーナ礼拝堂は神聖なヴァチカンの中でもさらに神聖な場所です。1470年頃、教皇シクストゥス4世(システィーナ礼拝堂の名前の由来となった教皇)は200年前に建てられたこの礼拝堂を修復改築しました。 その際、フィレンツェのメディチ家にボッティチェリ、ギルランダイオ、ロッセッリといったフィレンツェを代表する芸術家たちのローマ派遣を要請します。 他にペルジーノ、ピントリッキオ、シニョレッリを招聘し、6人の画家たちにシスティーナ礼拝堂の窓の下を飾る12の壁画を描かせます。祭壇向かって左が「モーセ伝」、右に「キリストの生涯」が並びます。下はその一つボッティチェリによる「モーセの試練」という壁画です。

これだけの錚々たるメンバーが描いた絵はそれだけで相当に歴史的な価値がある作品群です。また当時のシスティーナ礼拝堂の天井は、紺碧の空に星を散りばめたようなシンプルな装飾で、そんな空間に描かれた「モーセ伝」「キリストの生涯」の絵画群は当時のシスティーナ礼拝堂を華やかに彩っていたと思います。

この頃のシスティーナ礼拝堂

しかし現在に至るシスティーナ礼拝堂には、これらルネサンスの巨匠たちの作品が全く霞んでしまうほどの存在が、その上にあるのです。

 

天井画「天地創造」

1508年、法王ユリウス2世は、ラファエロに「署名の間」への壁画制作を命ずるのとほぼ同時に、ミケランジェロに対しても礼拝堂の天井画を描くことを命じます。「自分が彫刻家である」ことにこだわりを持っていたミケランジェロは当時、この天井画製作を固辞していました。しかし結局ユリウス2世の強硬な態度に負け引き受けることになり、いやいやながら4年もの歳月をかけて描き切ったのが、この天井画「天地創造」です。もともとのっぺりした天井に絵で構造物を描き込み、まるでそれが絵の額のように場面を区切り旧約聖書の創世記「天地創造」はじめ創世記の三つの物語から9つの場面が描き語られています。

長い歳月背中を反らしひたすら首を天井に向けての作業は相当辛かったようで、ミケランジェロはよく周囲にその苦悩を漏らしていたようです。しかし嫌々ながらも描き切ったのがこの天井画。ミケランジェロの才能は今に至るまで人々を驚嘆させているのです。

 

祭壇画「最後の審判」

そして天地創造が生まれて30年後、老齢となったミケランジェロが絵筆を奮い描ききったのが、祭壇画「最後の審判」です。

写真は当時のフィルムの感度のせいで、それぞれくすんだ色になってますが、実際のシスティーナ礼拝堂はミケランジェロの色彩の洪水でした。これらをたった一人で成し遂げたミケランジェロはこの作品によって、「神の如きミケランジェロ」と賞賛されることになるのです。

 

僕はシスティーナ礼拝堂に入ると、時間も、ずっと上を向いているせいで首が痛いのもわすれて、ミケランジェロが描いた世界に心地よく飲み込まれて行くのです。そして、あとになって驚きます。あのすべては「ミケランジェロ一人によって作り上げられたのだ」ということに。

 

次は「天地創造」に迫ります。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com