サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-pres)
学問の街カルチェ・ラタンと並んでパリの左岸でサン・ジェルマン・デ・プレ教会を中心に古くから栄えた場所。パリの中でも高級住宅がひしめき古い街並みに高級ブティックなどが居並ぶ洗練された街です。
■サン・ジェルマン・デ・プレ教会
6世紀から歴史をもつパリ最古の教会です。
パリがフランク王国メロヴィング朝の首都となった6世紀、この頃はパリがシテ島の左岸、右岸に広がって行く時代でした。このころ当時の王キルドベルト1世が聖遺物の保管や王の墓を納めるために作った聖堂を作りました。当時聖ヴァンサン教会と呼ばれたこの聖堂は後にパリ司教の聖ジェルマンが埋葬されてからサン・ジェルマン・デ・プレ教会(léglise Saint-Germain-des-Prés)と呼ばれるようになります。
以降何度か壊滅の危機を乗り越えて、現在の形になったのは12世紀。パリでは数少ないロマネスク様式の鐘楼を持つ教会となりました。
この界隈は17世紀頃から多くの貴族が館を構えるようになりました。知識階級の人々が集まり、17世紀末に世界初のカフェ「ル・プロコープ」ができて以来、カフェは重要な社交場として機能するようになります。1885年開業した「レ・ドゥ・マゴ(Les deux Magots)」はじめ多くのカフェが生まれます。するとたくさんの文化人がサン・ジェルマン・デ・プレに集まるようになり、パリの中でも文化的な地区として栄えていったのです。
19世期以降、ピカソ、マティスなどの画家、ユーゴー、カミュ、フィッツジェラルドやヘミングウェイといった作家、ナポレオンやレーニンや鄧小平と言った政治家まで、多種多様な職種・階層の人々がこの界隈で熱く過ごしていたと言います。
ここは前回のパリ滞在で食事したお店。小さな路地にあるお店なのに超満員。それもそのはずとても美味しかった。
17世紀の比較的安定したルイ14世の治世を背景に、パリで一大都市整備が行われ、また王族がルーブル宮殿からヴェルサイユに住まいを移したことで、おそらくこの時シテ島にも近いサン・ジェルマン・デ・プレ周辺が貴族階級にとって移り住むのに相応しく、またお手軽な場所となった。パリの建設ラッシュの吹き溜り的な地勢と17世紀という時代が、今に続くサン・ジェルマン・デ・プレのキャラクターを決定付けたと言えそうです。
街を歩くと、大通りはもちろん、裏路地も他の地域とは一味違った「洗練」が感じられます。