3つの丘の上に横たわるシエナの街は「荒れる海のように」といわれるほど起伏に富む地形の上にあります。外から丘に上がっていく時、街外れに立つ時にそのトスカーナの土地のうねり具合を実感することになります。
■シエナの起源 その1
トスカーナの他の街と同じく、シエナもまたエトルリア人の集落が街の起源と言われています。そして他のトスカーナの街と同じく、それに関してははっきりとは分からない。
その後古代ローマが起こると、ローマの街「シエナ・イウリア」として発展しますが、ローマの街道から外れた場所にあり、また水運に恵まれているわけでもないシエナはあまり歴史の表舞台には立たず静かに時を過ごしていたと言えます。
12世紀までトスカーナ含む北イタリアは大領主カノッサ家が収めていたのだけど、1115年に最後のカノッサ伯がなくなると、各地に都市国家が誕生。その一つとして「シエナ共和国」は成立しました。このシエナ共和国の時代13~15世紀に、この街は飛躍的に発展し、今見られる美しい街並みのほとんどはこの時期に形作られました。
*シエナで購入した絵葉書
■シエナの起源 その2
さてシエナの起源にはもう一つの「伝説」があります。
ローマ建国の神話では、ローマは雌狼に育てられたロムルスとレムスの兄弟によって造られたことになっており、その兄弟の子孫であるローマの名門貴族レーモ、その子息セニオがこのシエナを作ったと、いうもの。
*市庁舎にある「カピトリーノの狼」
そんなわけで街のあちらこちらで、このローマと同じ「ロムルスとレムスを育てる雌狼(カピトリーノの狼)」がみられます。街の人もこのことは伝説として楽しんでいる模様。それがいい。
*ドゥオモにある「カピトリーノの狼」
■シエナの盛衰
13世紀にシエナ共和国が形成され、14世紀にかけては羊毛取引と金融業で大発展を遂げます。都市計画によって現在も残る美しい街並みが作られたのはこの頃です。
しかし、16世紀にスペインと隣国フィレンツェとの戦争が起こり、シエナ共和国は圧倒的不利な状況下で5年間戦います。そして1555年についに破れ、シエナ共和国は歴史の表舞台から消えてしまいます。
共和国そのものは消えてしまったその後、フィレンツェ共和国に組み入れられメディチ家の支配下になった後でもシエナ市民の「シエナの誇り」は消えることはなかったと言います。市民の誇りは文化芸術へと注がれ、シエナ大学初め多くの学術機関、アカデミーの創出や現在に残る美しい街並みへとつながっていきました。