父が亡くなってから、今日で10年になる。時間が経つのがなんと早いことか。当時8歳、6歳のチビだった娘たちも、長女は今年大学生、次女は高校2年生になる。二人ともすっかり大人の様相で、子供達が無事に成長できたのはおじいちゃんが見守ってくれてるからなのだと二人は信じている。多分二人ともおじいちゃんと過ごした記憶は残っているだろう。僕も父との記憶も、おそらく父が社会人として過ごしていた時の気持ちのようなものが僕の中にも残っている。10年経つけど、まるで昨日のことの様に思えます。
人は死んだ瞬間から、その後ちょっとずつ故人は家族の元を離れていくのです。
まず魂が先に離れて体が残される。10年前のあの時、父の魂はどこかへ消えてしまったけどその後、しばらくは父の姿は身近に残されていた。でのその後、亡骸となった父の体は少しずつ僕たち家族の元から、少しずつ距離をとって離れていくのです。
最初は家で父の亡骸は家族と共に過ごします。死装束を纏ってはいるものの、布団に入って横になった姿はムクっと起きてくるんじゃないかという期待感すら持たせてくれます。そのうち父の体は棺桶に移される。ちょっと囲われてしまって離れた気分にはなりますが、まだ触ることもできる。その後、霊柩車が迎えにくると、棺は花と思い出の品で満たされて蓋をされ、釘で蓋が塞がれる。この時が一番辛い瞬間かもしれない。そして葬儀場に運ばれてしまい、もう2度とその体は家には戻ることはない。葬儀場では祭壇に安置され、さらに遠くの別の場所に行ってしまった感が強くなる。けど、まだその気になれば、父の顔もよく見えるし体に触ることもできる。そして、棺が完全に閉じられ顔も見れなくなり、火葬場にいき、最後火葬されるために焼き場の中に入れられる瞬間、もうあの姿を見ることも触ることもできなくなってしまうのだという、どうしようもない喪失感が襲ってくる。こんな風に少しずつ、少しずつ、父との距離が離れていき、ついにはもう2度と会えなくなるところまで行ってしまったのでした。きっとこういった儀式的な事柄は、残された家族がちょっとずつその事実を受け入れられるようにと、考えられているような気がします。葬儀の準備の慌ただしさも、少しずつ離れていくプロセスも、個人を失った悲壮感を和らげるために構成されているのだろう。
仏教の世界では初七日を過ぎると、魂が三途の川を渡ってあの世へ旅立つそうで、ちょうどその初七日の前後で、僕は父の鮮明な夢を見ました。一度は黄金の平原を、収穫直前の麦畑か、黄色い花が咲く広い花畑を向こうへ歩いていく父の姿、その途中で僕の方に振り返ってこちらを見ている。その表情はとてもにこやかで満足そうだった。とても暖かい幸せな夢だった。そうしてもう一度は僕がまだ生まれたばかりでベビーベッドで寝ているところに、若々しい父と母が二人してニコニコしながら僕をあやす様にベッドの枠から乗り出してこちらを見ている。そんな記憶は僕には残ってないのだけど、きっとこういうことがあったんだろうという場面だった。そんなはっきりした夢を見たのは後にも先にもこの時だけ。父の魂が僕にそんな夢を見せたのだろう。父は僕にその夢を通して、とても満足な人生だったことを、そして僕が生まれた時の喜びを僕に伝えたかったんだろう。
あれからもう10年、僕自身、年を重ねれば重ねるほど父の人生を追体験している様な気になってくる。若い時はわからなかった父の気持ちや苦労や嬉しさが今になってわかることが多い。これからもそういうことが増えていくのだろう。
僕は都内で地下鉄に乗るときに、いつも父を思い出します。父は地下鉄のトンネルの技術者で、地下鉄(東京メトロ)のあちこちで父の作ったトンネルや駅など父の仕事を見ることができるのです。他の誰もがそれを知っているわけではないけれど、僕にはわかる。でもこれで僕が死んでしまったら、地下鉄に乗りながら僕の父を思い浮かべる人はいなくなるのだろう。僕の子供達だって、どこの何がおじいちゃんが作ったものかはわからないから、地下鉄に乗って父を思い出すことはないだろう。東京の地下鉄という誰もが知っているものを残した父はすごいと今でも思う。それが父が残したことを知る人はいなくなっても、父が残したものはいつまでも残り続けるのだから。
人が生きた証というものは、なんだろうと思う時がある。極端な例で言えばレオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザなどの作品が500年以上残ってる。この先も世界がレオナルドの名前を忘れることはないだろう。神の如きミケランジェロも然り。パルテノン神殿を作ったフェイディアスは建築を学ぶ人が語り継ぐだろうし、ユリウス・カエサルもその才能と人生について、研究され模倣され憧れられ続けるだろう。比較するのは憚られるが、ああいう風に名前が歴史に刻まれる人はごくごく少数で、普通は死んでしまえばあっという間に忘れられてしまう。ローマの五賢帝の一人、哲人皇帝マルクス・アウレリウスですら自省録の中で、「何を成したところで、自分のことなどあっという間に忘れ去られる」と書いている。
僕は父の記憶を確かめながら、忘れられることに思いを馳せる。先日出かけた熊本の通潤橋を作った「布田保之助」という建築家のことを思い出し、なんだか羨ましいと思ってしまった。僕には多分そういう形で世の中に何かを残せることはできないだろう(と思う)。それでもきっと家族や親戚や親しくしてくれた人々は時々僕を思い出してくれるかもしれない。でも、時が経てば世界の誰一人、僕を思い出すことは無くなるんだろう。
でも、それでいいんだと思う。そうやって新しい世代が古いものに縛られることなく新しい時代を作っていくのだから。僕は僕がいなくなった後を考えるより、今をどう生きるかを考えるべきだな。後悔のない生き方、色々なことに一生懸命向き合っていく。仮に明日コロっと死んだとしても悔いのない生き方を。そして最後は笑いながら棺桶に入って、肉体がこの世から消えた後に娘たちに「いい人生だった」と教えにいきたい。そんな風に思っている。
そんなことを10年前に父が僕に教えてくれたんだ。