cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 行ってきます

「行ってきます」「行ってくるね」「行ってくるよ」子供の頃から何気なく使っていた出かけるときに使うこの言葉。うちの子達もこう言って出かけていきます。

「行ってらっしゃい」こちらも何気なく使っていた「行ってくるね」に返すこの言葉。

それぞれ当たり前すぎて何の迷いもなく使い続けていたこの二つの言葉に、ふとどんな意味があるのだろうと疑問が湧いて調べてみました。

*この写真は姪っ子チビ時代の「行ってくるね」

「行ってきます」は「行って、無事に帰ってきます」という家に残す家族へ、必ず無事に帰ることを伝える言葉が変化したもので、明治の初めから広く使われ始めたようです(諸説あり)。江戸時代では「行って参ります」という言い方だったそうですが、「行って参りますが、無事帰ります」とその意味するところは同じだったそうで、昔から日本人が出かける時に使う言葉は、必ず帰ることの意思を伝える言葉だったと言います。

「行ってらっしゃい」は「行って、無事に帰ってらっしゃい」が変化したものだそうです。

「行って来ます」「行ってらっしゃい」今まで数えきれないほど繰り返し使っていたこの言葉の意味を今更ながら知ってみると、自分が子供の頃の両親とのこの言葉のやり取りや、自分の娘たちとのやりとりの様子が走馬灯のように(別に死ぬわけではないのだけど)思い浮かびます。多分両親も家族も誰もこの「行って来ます」「行ってらっしゃい」の言葉の由来を知らずにいたと思うのだけど、思い出される場面のその全てで、「ちゃんと帰ってくるよ」「無事に帰ってきくるんだよ」を心でやりとりしている。

出かける時に使っていた何気ない言葉に、思いと同じ意味が込められていたんだと知り、何というか僕たちは言葉に守られていたんだと心温まる思いです。

 

80年前戦時中、戦地に向かう若者たちは「行ってきます」とは言えなかったそうです。生きて帰ることなど口にできない状況に「行きます」と行って出かけていったと言います。

これから10年20年、100年先も1000年先も「行ってきます」「行ってらっしゃい」を言い続けられるような日本であってほしい。同時に明日からでも世界のどの地域であっても「行ってきます」が当たり前な世界になってほしいと願うばかりです。

 

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