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旅行の記憶と何気ない日常を

ミラノ小話 遠くて遠い最後の晩餐

f:id:fukarinka:20210418182604j:plainレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」を見るまでに、僕はミラノに3度、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会には4度足を運びました。でも実際にこの絵としっかり対面できたのはたったの1度だけ。そのせいもあってか、僕はこの絵に対して、その世間一般にいわれる以上の愛着を感じてしまうのです。その4回の顛末を。。。なぜ4回も行かねばならなかったのか。。

 

第1回ミラノ遠征

僕が「最後の晩餐」に最初に挑んだのは1991年、初めてのヨーロッパ旅行の時。
その当時イギリスにすんでいた従兄弟の家族と一緒に2週間のヨーロッパ縦断ドライブ旅行に便乗してイギリスのウェールズからイタリアローマを車で2週間かけての往復旅行の途中。そのころは「ヨーロッパのなんたるか」なんて知ることもなく、ただ従兄弟の家族にくっついていろいろな街を訪れた。今思えば、その中で従兄弟が「これは見ておかなければ」というリストの上位にあったのが、このミラノの「最後の晩餐」でした。

僕たちはドーバー海峡をわたり、ベルギーからドイツを抜け、スイスを見た後イタリア国境の街で一晩過ごしてイタリア・ミラノに入りました。まず最初に「最後の晩餐」を見ようとサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会へと向かう。しかし到着したのは午後2時前。なんと閉館時間直前(正確には閉館10分前)。なぜ午後2時に閉館なのか!?さびれたチケット売り場兼、記念品売り場の女性は無情にも閉店時間前に店じまいを始めたところでした。この後すぐローマに向かう予定だった僕たちは、せめて「ひと目だけでも」とお願いしても、その商売っ気のないイタリア人は首を縦に振らない。結局そのときは中に入ることはできず、第一回最後の晩餐遠征は空振りに終わったのでした。

 

第2回ミラノ遠征

2週間のドライブ旅行の折り返し、その後ローマからピサ、ジェノバを経てそのままフランスのシャモにへ行く予定だったのだけど、その前にもう一度ミラノに寄って「最後の晩餐」をこんどこそ見よう、ということになったのでした。そして2度目のミラノ、午前中にサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会についた。今度は文句無しに修道院の食堂に入れる時間です。

第2次世界大戦の爆撃にも奇跡的に崩れず残った、そんな神がかった絵とはどんなモノか・・と期待にわくわくしながらチケットを買い、古びた小さな食堂の入り口をくぐった。ついに最後の晩餐とご対面。すると、薄暗い食堂内の壁に櫓が建てられ、なにやら作業をしている。そして中央部が完全におおわれ、全く見えない。「まてよ、そこにはキリストがおわしたはず・・」。当時、「最後の晩餐」は1970年代に始まった大修復の真っ最中。脇に控える弟子たちのうちほん何人かが見える程度。要はほとんど隠れて見ることはできなかったのです。

ただこのときは第1回目に門前払いを食らったこともあり、「最後の晩餐をこの目で見た」だけで、相当満足していた。

 

第3回ミラノ遠征

1996年僕は再びミラノを訪れた。このときはスイス・アルプスを見た後、ミラノに立ち寄ったのですが、その目的は「最後の晩餐」を見る、その一点。
このときもミラノ到着後まずはサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会を目指す。愚かにも午後2時ごろに。入り口まで来て「はっ」と5年前の出来事がよぎる。「そうだった・・・」と閉ざされた入り口を背にすごすご引き返し、自分の愚かさを噛み締めながら、スフォルツェスコ城のほうへあるきだした。明日朝こよう。。

 

第4回 最後の晩餐到達か

 次の日朝一番にサンタ・マリア・デッレグラツィエに向かう。まだ開館まえだというのに20m以上の行列ができている。前回の時とは入り口も違うように思える。前は中に入るとすぐに修道院の食堂に入れたのに、今回はちょっと違う。通路を進みガラスの自動ドアを抜けて「古びた修道院の食堂」改め、「最後の晩餐保管の間」にはいる。

壁や天井の漆喰は塗り直され、出入り口は自動ドア、空調完備と、ものすごい変わり様だ。絵はほとんど修復が終わっているように見え、絵を覆うような櫓はくまれていない。

このとき初めて、「最後の晩餐」の全容を見ることができました。
それほど広くない食堂の壁に描かれた絵は修復も無事に綺麗に進み、離れてみるとそれほど痛みは感じられない。キリストの仕草、弟子たちのそれぞれの動き、レオナルドが書き上げた当時の空気がそのまま感じられそうな気がします。

絵を近くで観察しようと、少しずつ近寄って行きます。絵に近づくにつれて、だんだんと激しい劣化が見えるようになってくる。修復されているとはいえ月の表面のクレータのように絵の具がはげ落ちている様は痛々しい。過去ヴァザーリはじめ「最後の晩餐」を見た人が書き残したように、近くによると何が描かれているのかわからなくなる。現在にいたるまでに、とくに19世紀まで間に行われた修復は「修復」と言う名の「加筆」でありディテールはすでにレオナルドのものでは無くなっていると言ってもよく、レオナルド研究者は嘆いているという。

いろいろな場所、角度からこの絵をながめて、やはりこの絵でレオナルドを感じるためにはちょっと遠目からみるのがいいんだと感じました。遠目にみる最後の晩餐は、近くではぼろぼろで見えなかったものが不思議なくらい浮き立って見える。加筆され、ボロボロになってもなお強く輝きを放つ万能の人の作品。

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5年ぶりのミラノ、実質初めての「この絵」を堪能するために、ぼくは部屋の半分から後ろの壁際あたりをひたすらうろうろ過ごした。その間、たくさんのツアー客が入れ替わり、立ち替わり、この部屋を訪れては去っていった。ちょっと立ち止まりツアコンが解説する団体はまだいいとして、入るや、いきなりパシャパシャそれぞれ記念撮影してあっという間にでていくような団体がほとんど。最後の晩餐鑑賞に要した各ツアーの平均時間はせいぜい2分といったところではないだろうか?きっと時間に追われているのだろうけど、それではあまりにもにもったいない。4度目にしてはじめて見ることのできた僕には心底そう感じられた。

そんな出入りの激しい食堂でも、その合間にほんのひととき僕以外の人間が誰もいなくなる時間ができる。このわずかだけどとても贅沢な時間をすごすとき、人類の宝といえるこの絵を独り占めしたような幸福感に浸れたのでした(単純なもんです)。

 

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