2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ヴェネツィアとミラノのちょうど中間に位置するこの街は、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台として、また夏に古代ローマの円形闘技場で行われる野外オペラで知られ、その佇まいから”真珠のよう”と称えられています。 僕はミラノへ行く列車の中…
ここで綴るのはスイスのツェルマットからミラノへ列車で向かった時の貴重な思い出です。 *失意のツェルマット ミラノへの出発の日、ツェルマットは朝から雲が立ちこめ、最後にマッターホルンの姿を見ることはできませんでした。結局ツェルマット3日間の滞…
「メモ書き」が一枚1億円の価値をもち、「メモ書き」の展覧会が開かれると大勢の人がそれを見るために集まってくる。絵でも彫刻でもない、言ってみれば「ただのメモ」に大勢の人々が引き寄せられるのです。そう「ただのメモ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが…
簡単に、ミラノの歴史です。 *ローマ以前 紀元前7世紀 ガリア人集落が誕生 *共和政ローマ期 紀元前222年 ガリア人集落をローマ人が植民地化。ローマ都市「メディオラヌム(Mediolanum)」誕生。ローマ人はすでにこの時、ミラノ(メディオラヌム)をガリアへ…
僕は無信仰、というか八百万の神様と生きていると思っているので、宗教に対しては常にフラットな立場でいます。それはこれからも変わらないでしょう。そんな中でも僕にとってのキリスト教は、ルネサンスはじめたくさんの時期と地域で才能ある芸術家たちを刺…
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」を見るまでに、僕はミラノに3度、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会には4度足を運びました。でも実際にこの絵としっかり対面できたのはたったの1度だけ。そのせいもあってか、僕はこの絵に対して、その世間一…
ドゥオモ広場の写真を見てネオンギラギラの一角のあるこの広場がどうにも好きになれなかった。なんかヘンテコな形をしたゴシックの王道とは違う大聖堂もどうなのか?まだミラノを訪れる前、これが僕のドゥオモと広場に対する印象でした。 でも、実際にミラノ…
時々刻々変化していくミラノのドゥオモの景色を 朝のドゥオモ 大聖堂が朝日をバックにするシルエットはとても神々しい。 ヴィットリオ・エマヌエレ2世の像、その先にミラノを守ってきた聖母マリアの黄金の像 ドゥオモの尖塔の上にはたくさんの聖人が立ち、ミ…
ミラノとレオナルド・ダ・ビンチ Milano e Leonardo Da Vinc レオナルドとミラノの関わりは1471年、レオナルドが19歳のときから始まります。その年、ルドヴィコ・イル・モーロがフィレンツェ共和国を訪れ、フィレンツェでは歓迎の宴が催されました。それを取…
最後の晩餐(L'Ultima Cena)はキリスト教の中でもとても重要な出来事として、古くからたくさんの「絵」がイコンや芸術作品として残されています。レオナルド以外にも、たくさんの著名な画家たちがこの「キリスト処刑前夜に弟子たちと供した夕食」の場面を描い…