
ミケランジェロやラファエロのような華々しく圧倒的で、そして神々しい作品たちとは一線を画すようにレオナルドの作品はありました。ヴァチカン美術館の「荒野の聖ヒエロニムス」はピナコテーカの一室にガラスケースに守られながらひっそりと展示されています。
荒野の聖ヒエロニムス(1482年頃) ~ヴァチカン美術館蔵
レオナルド 30歳頃
レオナルドの多くの作品と同じく未完成で放棄された作品。
荒野での苦行のなか十字架の前にひざまずく聖ヒエロニムス。解剖学をもとに描かれた、苦悶に満ちた表情と体からは恐ろしいまでの迫力を感じます。

聖ヒエロニムスとは。。
4世紀の聖職者で神学者、カトリックの4大教会博士の一人に位置付けられている人物。ギリシア語とヘブライ語を学び、382年ローマ滞在時に全聖書のラテン語訳に取り掛かり、405年ごろにラテン語版旧約聖書と新約聖書を完成させました。聖ヒエロニムスによるラテン語版聖書は「ウルガータ」と呼ばれ、20世紀に至るまでキリスト教標準の聖書として位置付けられています。
レオナルドの主題
「荒野の聖ヒエロニムス」の主題は、聖ヒエロニムスがローマに行く以前、シリアの砂漠で禁欲を貫く隠遁生活を送った時の「欲望と戦う姿」が描かれています。
砂漠で清貧を貫こうとする聖ヒエロニムスは、欲望に負けそうになった時に十字架の前にひざまづき、右手に持った石で自分の胸を打ち付けることで欲望と戦ったと言います。
すっかり痩せこけて筋と皮となった肉体に、己の欲望を抑えられない苦痛の表情が充満します。そして下にラフのまま放置されたライオンは、荒野で傷に苦しんでいたライオンを聖ヒエロニムスが助け、それ以降共に暮らしたという伝説に基づくもの。
波瀾万丈の物語
この鬼気迫る表情と肉体の表現は解剖学に精通したレオナルドならではの表現であり、ミケランジェロであっても及ばない領域です。その他の画家たちが描いた聖ヒエロニムスともずいぶん趣きが異なります。
この絵が描かれたのは1482年頃とも1483年頃とも言われ、板材がクルミ材だとか、同時期に描かれた作品との比較からフィレンツェで描かれたという説が現在優勢らしい。
いずれにしてもはっきりした記録は残っておらず、当時30代にさしかかったレオナルドがなぜこの題材を選んだのか、はたまた誰がレオナルドにこの絵を依頼したのかは謎のまま。さらに別バージョンの聖ヒエロニムスも存在したとか。近年の考察によれば、レオナルドは誰かの依頼を受けて制作したのではなく、自分で自分のために描き始めたという説が有望のようです。更にはこの絵がその後どういう経路を辿ってヴァチカンにたどり着いたのかも謎だらけ。
また、この作品は18世紀後半までレオナルドが描いたことに気づかれずにいました。レオナルドの作品であることが認知されたのは19世紀になってからのこと。更には一旦行方不明となり、発見されたときに絵は3つに切り取られ、聖ヒエロニムスの顔の部分はタンスの扉、下の部分は靴屋のテーブルとして使用されていたといいます。
バラバラだった絵を継ぎ直し、修復されたあと競売にかけられ、最終的にヴァチカン美術館に所蔵されることになったのは1856年。
これが「荒野の聖ヒエロニムス」の放浪の物語で、なんとも波乱万丈に満ちた生い立ちです。
なぜ「荒野のヒエロニムス」がヴァチカンにあるのか
ローマには足跡の少ないレオナルドですが、この一枚の絵がヴァチカン美術館にあることによって、僕たちはレオナルドがローマにいたことを印象つけられる。
「荒野の聖ヒエロニムス」という作品は現代の僕たちに、「レオナルドはローマにいたんだ」ということを伝えるために、波瀾万丈の旅を経てヴァチカンにたどり着いたのかもしれない。そんなことに思いを巡らせたくなるほど、実際に見るこの作品からは、ガラスケースの向こう側から強烈なエネルギーを感じます。

ミケランジェロやラファエロのようにローマで活躍はできなかったけど、間違いなくレオナルドもローマにいた。
この「荒野の聖ヒエロニムス」は1993年日本で公開され僕も見に行きました。レオナルドの作品としては1974年の「ジョコンダ(モナ・リザ)」以来のことでした。絵から放たれるエネルギーはヴァチカンで見た時と何ら変わらず、僕は圧倒されるばかりでした。