cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル

カエサル16 ガリア戦役 暗転

紀元前54年の冬 例年戦闘のできない冬の時期、軍団は一箇所の冬営地に集まりガリアの地で越冬します。その間カエサル自身は南仏属州あたりの、本国との境目付近にもどって首都ローマに対して様々な指示をだしていたのでした。ところがB.C.54年の冬に差し掛か…

カエサル15 母の死、娘の死

B.C.55年7月ガリア戦役の最中にカエサルは母を亡くし、翌B.C.54年8月に娘を亡くします。ガリア戦役の最中、カエサルはローマに戻ることもできず、カエサルは二人の死に目に遭うことも、弔ってあげることもできなかった。公私を明確に切り分けていたカエサル…

カエサル14 ガリア戦役 イギリス〜ドーヴァー海峡横断

B.C.55年、カエサルがもう一つ行った大事業とは、ドーヴァー海峡を渡りブリタニア(イギリス)に上陸したこと。これもまたローマ人初の出来事でした。 ゲルマンの地でゲルマン人や北部ガリアの諸部族に反ローマの支援を行っているのがブリタニアにいる民族であ…

カエサル13 ガリア戦役 ドイツ 〜ライン渡河

ガリア戦役4年目(B.C.55年 カエサル45歳) カエサルはこの年、二つの大きな仕事を成します。 一つは対ゲルマンでの出来事。 前年のルッカ会談で合意したであろう通りに首都ローマでポンペイウスとクラッススが執政官になり、それぞれのプロコンスルとしての任…

カエサル12 ガリア戦役 フランス大西洋岸

ガリア戦役3年目(B.C.56年 カエサル44歳) 現フランス北西部ブルターニュ地方にはヴェネティ族がいました。ヴェネティ族は大西洋岸一帯では最も勢力のあるガリア部族で、優れた海軍をもち、ブリタニアとの親交もあった。一度ローマに対して恭順の意を示したも…

カエサル11 ガリア戦役 ベルギー

ヘルヴェティ族(スイス人)の移動による混乱を防いだあと、ガリアの部族長によってゲルマン問題の詳細を知ったカエサルはB.C.58年に冬営に入る前にゲルマン人と対峙して、現在のライン河をローマ世界とゲルマン人の境界とすることに決めます。 ガリア戦役2年…

カエサル10 ガリア戦役 スイス

ガリア戦役 1年目(B.C. 58年 カエサル42歳) ガリア戦役は今でいうところのドイツ人がスイスに侵入してきたことをきっかけに始まります。ガリア戦役一年目のこの年、現在のスイス人との争いが主な出来事でした。 当時トランサルピーナ(アルプスの向こう側)と…

カエサル9 ガリアへ

前執政官(pro-consul)となったカエサルの任地ガリアとは、現在でいえばスイス、フランス、ベルギーといった地域を指し、100を超える部族が乱立し広大な湿地帯の広がる未開の地域でした。ガリア戦役とはカエサルとローマ軍団による8年に及ぶガリアの征服行で…

カエサル8 はじめての執政官

「執政官(Consul)」とは共和政ローマにおける最高官職。任期は1年、毎年2名の執政官がローマの政治を取り仕切っていました。 B.C.754年、王国ローマが誕生したときに建国の王ロムルスは国の政体を「王、元老院、平民集会」の3つにすることを決めました。ロ…

カエサル小話  ”見たいと思う現実しか見ていない”

~カエサルの言葉~ 「人間誰しもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと思うことしか見ていない」 ”Fere libenter homines id quod volunt creduunt”誰でも、都合の悪いこと(見たくない現実)には目をそむけてしまいます。無意識のうちに現…

カエサル7 三頭政治

昔歴史の教科書に載っていた三頭政治(Triumviratus)という言葉。歴史を学校で学んだ(はずの)当時、全く意味を理解していなかった。歴史とは組紐が如く、もつれて繋がりをもって時が過ぎ、さまざまな小さな出来事が因果応報重なって大きな出来事へ流れていく…

カエサル6 カティリーナの陰謀

紀元前63年のこの年、カエサルは37歳で最高神祀官(Pontifex Maximus)になります。「最高神祀官」はローマの宗教に関する最高責任者で、ローマの官職のなかで唯一定員がひとりだけ、しかも終身職で他の官職との兼務OKという特殊な位置付けがされている。カエ…

カエサルと "借金”

海賊に囚われた時には50タラント(約50億円)もの身代金を従者に借金に走らせたり、按察官時代に行った二つの大事業を自費で行ったり、この時期、35歳にしてカエサルの借金は既に膨大な額でした。さらに生涯かけてカエサルは天文学的な数字の借金をすることに…

カエサル5 民衆派として立つ

立つカエサルはB.C.65、35歳の時に按察官(エデイリス / aedilis)に就任します。按察官とはローマの公共施設の管理や祭儀の管理を行う官職でした。 カエサルはこの年、この官職を利用してローマ街道の補修と剣闘士試合開催という二つの大事業を行います。しか…

カエサル4 海賊の人質

若い時期のカエサルを語る時、よく取り上げられるエピソードがあります。プルタルコス(Plutarchus A.D.46-119)の「対比列伝(Vitae Parallelae 英雄伝)」などに記される有名な話「カエサルが海賊に囚われた」を。 スッラの死後ローマに戻ったカエサルはいわゆ…

カエサル3 カエサルから見たスッラの粛清

カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。 カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行っ…

カエサル2 生涯

カエサルの略暦。カエサルの生涯は後半に行けば行くほど濃くなっていきます。人生の経歴としてはカエサルはとてもスロースターターです。20代で軍功を挙げて当時すでに最高の栄誉を受けた三頭政治の一角、ポンペイウスとは対照的です。 しかし、後世の人々は…

カエサル1 3月15日 / Idus Martiae

ヨーロッパの人は3月15日(ラテン語でIdus Martiae)というと、それが何を意味するのかほとんどの人が知っているといいます。日本で3月15日といえば中学や高校の卒業式?と連想しますが、ヨーロッパで3月15日といえば、それはユリウス・カエサルが暗殺された日…

小話 誰かの生涯

このブログ"cafe mare nostrum"の中で何人か建築家や芸術家、政治家の生涯を辿ってきました。歴史に名を残した著名な方々の人生を辿るのは、大袈裟に言えばその一生を追体験しているようで感情も移入するし、単純に勉強にもなります。そして毎度、僕はその人…

ユリウス・カエサル 目次

ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar BC100-BC44) カエサルとはなんであったのか?をカエサルを知りたかった僕が、カエサルをこれから知りたい人のために、いやかつての自分に向けて、まとめてみたいと思います。 指導者の資質~イタリアの高…

ルッカ小話 ルッカ会談

実しやかに語り継がれる伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日に狼に育てられた双子の兄弟の兄ロムルスによって王国として現在のローマのパラティノの丘の上に誕生しました。そんな一部落のような小さな国だったローマが徐々に拡大、王国から共和国に代…

スイス レマン湖畔 〜ニヨン

朝のニヨン駅のビジネスマンや学生の多さから察するに、ジュネーブやローザンヌのベッドタウンなのかも。この街からも湖畔の他の街に負けない、とてもきれいなレマン湖の景色が広がっています。 スイス第二の都市ジュネーブが人口19万人、ここニヨンは1.7万…

ジュネーブ小話 〜スイス人のスイスとローマ

僕は最初にスイスに行った頃、ローマとスイスの繋がりは全くわかっていませんでした。 でもスイスを旅していると(というかヨーロッパ各地どこでも)大体ローマの何かに出会うのです。ローマの広場跡、ローマの浴場跡、神殿の円柱やその土台といった遺跡や碑文…