cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話

小話 地中海について

僕は「地中海」という場所そのものと、その言葉の響きがとても、たまらなく好きなのです。 日本語でいう「地中海」を表す各国語は "Mediterranean Sea(英語)" "Mar Mediterraneo(イタリア語)" "Mer Méditerranée(フランス語)" "Μεσόγειος Θάλασσα(ギリシア語…

オルヴィエト小話 雨と光と

この日は朝から雨が降ったりやんだりでした。それもかなりの大粒の雨がザーっと降ったかと思うと、スカッと日が差す。 傘を差すとまもなく雨が過ぎ、たたむとすぐに次の雨が落ちる、それを何度も繰り返すとても気まぐれ空でした。僕はこの日一日、雨と傘と格…

小話 もう一つの5月4日 

今日5月4日はオードリーヘプバーンの誕生日。 1929年5月4日にベルギーのブリュッセルで生まれたオードリーは子供の頃に第二次世界大戦で凄惨な戦争体験をしています。ナチスドイツに街が占領され、地下に隠れて殺戮の恐怖と飢えと戦い、目の前で友達がなくな…

小話 5月4日

May the force be with you. 5月4日は"May the Fourth"にからんでスターウォーズの日とされています。スターウォーズといえば善と悪、光と闇の間で葛藤しながら銀河宇宙の平和のために戦ったスカイウォーカー一族の物語。僕は子供の時1作目から全てリアルタ…

イタリア小話 長い時間

もう随分前のことになりますが、初めてイタリアを旅行したときのこと。 ローマの街やミラノの大聖堂、素朴な小さな街と初めてのイタリアに感銘受けつつ、僕もまだ10代だったこともあってか「イタリア人のいい加減さったら酷い」と辟易したことをよく覚えてい…

フィレンツェ小話 普通の日

昨夜ゆったりと贅沢に夜を過ごして、この年フィレンツェはこのまま綺麗に終わる予定でした。でも昼前にヴェネツィアへの列車が出発するまでの時間、ひさしぶりに明るいフィレンツェを散策することにしたのです。今回滞在中は早朝と夜以外は別の街で過ごして…

フィレンツェ小話 最後の夜

僕にとってこの年のフィレンツェ最後の夜は、これといって特別な出来事があったわけではなく、淡々と、しかしとても贅沢に過ぎていきました。自由気ままにすごしたあの時間をのんびりつづります。 ☆ 最後の夜の始まり ☆ その日、朝から一日シエナを歩きまわ…

フィレンツェ小話 ルネサンスの黄昏

長い歴史の中では、ある時期ある場所に「天才」と呼ばれる人々が集中的に現れることがあります。紀元前5世紀のアテネ、15世紀のフィレンツェがそれにあたります。紀元前1世紀のローマもそうかもしれません。 アテネでは「天才政治家」ペリクレスの治世に未…

フィレンツェとメディチ家

フィレンツェの歴史はほぼメディチ家の歴史。三百年にわたるメディチ家の栄枯盛衰を、傑出した人物と一緒に簡単に。 メディチ家は古くからの名門一族ではありませんでした。 13世紀に毛織物業が発展して貿易が盛んになったころ、金融業が急激に発展しました…

フィレンツェとラファエロ

37歳で他界したラファエロはルネサンスの3大巨匠と言われるレオナルドやミケランジェロと比べて、若くとても短命でした。その短い生涯の中でフィレンツェで過ごした時間もまた短かった。でも、その短い間におそらく一生分の財産を手に入れた、ラファエロに…

フィレンツェとミケランジェロ

Firenze e Michelangelo Buonalotti 「神のごとき」ミケランジェロ ローマ、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を描きあげたあと、人々は彼のことをこう賞賛しました。その「神のごとき」手から数多くの彫刻、絵画、建築を世に残し、レオナ…

フィレンツェとレオナルド

"Uomo universale" 「万能の人」 人々は彼のことをこう呼びました。天文学、地質学、光学、力学、解剖学、数学、土木建築を極め、後世の様々な分野に影響を及ぼした「万能の人」はここフィレンツェで生まれ育ちました。 生涯のうち29歳までをフィレンツェで…

フィレンツェ小話 ルネサンスのはじまり

ルネサンス(Renaissance)。 学校の歴史の授業では「文芸復興」と言葉だけ教えられた。教科書に載っていたボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」がかすかに記憶にあるだけでその意味するところはまったく記憶に残っていない。 大人になって実際にイタリアを旅…

フィレンツェ小話 天国の門と地獄の門

フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の東の扉にあるのは、1492年完成のロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti 1378-1455)による初期ルネサンスの傑作。この扉はミケランジェロによって「天国の門」と名付けられたのは前回お話しした通り。ミケランジェ…

フィレンツェ小話 レオナルドとS.M.N.

レオナルドは「モナリザ」をここサンタ・マリア・ノヴェッラの法皇の間で描き始めます。後に人類の至宝と呼ばれる「モナリザ」が、なぜここサンタ・マリア・ノヴェッラで描かれることになったのか、モナリザ誕生の舞台を辿ってみます。 法皇の間 1431年にロ…

欧州列車の小話 フィレンツェへ

初めてのフィレンツェへはローマから電車利用しました。 ローマのテルミに駅からフィレンツェS.M.N.駅まで約1時間40分の距離です。 このフィレンツェの「S.M.N.」ってなんだよと思いながら列車に乗り込みガラガラのコンパートメントに入る。朝早かったのも…

シエナ10 小史

トスカーナのこの一帯はどこの街もほぼエトルリア人の集落が起源といえるようです。シエナも同じでやはり最初にこの場所に集落を開き、街に発展させていったのはエトルリア人であることは、どうも間違いない。でも、古代エジプトやギリシア、ローマの人々と…

シエナ9 小話〜パリオの話

パリオ(Palio di Siena)の話 毎年7月と8月、このカンポ広場で「パリオ」が開催される。 パリオとはシエナの地区対抗で行われるの伝統的競馬のこと。開催日7月は聖母マリアがシエナに現れたとされる7月2日、8月は聖母昇天の次の日8月16日。この二日はカンポ…

ピサ小話 気持ちはわかるけど

Capisco i tuoi sentimenti, però.... この奇跡の広場には、奇跡の斜塔を見るために国籍年齢問わず大勢の人が来る。大抵の人は節度を持って奇跡の広場保護のためのルールは守るのですが、中にはそのルールを無視する人たちがいるのです。 この広場の特徴の一…

ルッカ小話 ルッカ会談を求めて

僕はルッカ会談の痕跡を求めてこの街に来たわけだけど、結局カエサルもポンペイウスもクラッススも誰の痕跡も見つけられなかった。ルッカ会談のルッカは別のところにあるのではないかと疑いたくなるくらい、何もなかった。 その代わりに知らなかったことをい…

ルッカ小話 ルッカ会談

実しやかに語り継がれる伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日に狼に育てられた双子の兄弟の兄ロムルスによって王国として現在のローマのパラティノの丘の上に誕生しました。そんな一部落のような小さな国だったローマが徐々に拡大、王国から共和国に代…

ルッカ小話 名画修復

名画の修復といえば以前、ミラノでレオナルドの最後の晩餐の修復現場を見たけど、その時絵は櫓に隠されて、修復作業そのものは見ることできなかった。 有名な修復といえばこの「最後の晩餐」やバチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「天地創造」「…

小話ダークサイド 目次

cafe mare nostrumは地中海世界を中心に、街の文化の魅力や歴史を伝えることをコンセプトに、言ってみれば良いところばかりを紹介してきました。 でも、旅行経験者であれば、旅とは決して、そんな良いことばかりではないし、綺麗なことばかりでもない現実を…

小話 ダークサイド #1 イタリアのチケット窓口

イタリアに限らないかもしれないし、いまはどうかもわからない。チケット窓口で何度か遭遇した、日本ではありえない出来事です。 駅、施設の入場券等々のチケット窓口でのお話。いくつもある窓口に大勢の人が列をつくり、並んでチケットを買おうとしている。…

ヴェネツィア小話 コーヒーの話

ヨーロッパに最初にコーヒーを持ち込んだのは17世紀ヴェネツィア商人と言われています。僕も日々愛飲してるコーヒーはヴェネツィアにもたらされ、やがて日本へと伝わりました。 そもそも、コーヒーの起源はエチオピアともアラビアとも言われていますがはっき…

ヴェネツィア小話 最後の食事

日が暮れてから、リアルト橋のすぐ横のレストランで、ヴェネツィア最後の食事をとることにしました。大運河沿いのテラス席に座り、高級なお店ではないけど、ロケーションはすこぶる贅沢。今何を食べたのか思い出せないけど、日本でいうお手軽な定食メニュー…

ヴェネツィア小話 ヴェネツィアとベネチア

「Venezia」、何と呼び、どう書くか大抵の人にとっては些細な、でも僕にとっては結構大事なお話です。 Veneziaは「ヴェネツィア」か「ベネチア」か、はたまた「ベニス」か? ベニス(英Venice)はないな。Veniceは多分大英帝国人が大分あとからつけた呼び名だろ…

ヴェネツィア20 夜のサン・マルコ広場

サンマルコ広場の夜の美しさはまた格別でした。 サンマルコ寺院や広場を囲う列柱廊のライトアップ。列柱廊の途中には、ところどころぶら下がるランプのようにカフェの明かりが強く輝く。 カフェには広場に面したステージが設けられ、お抱えバンドがいろいろ…

ヴェネツィア小話 カフェ・クアドリにて

ナポレオンが「世界の大広間」と絶賛したサンマルコ広場。 今では朝から晩まで観光客と鳩が大勢集う世界屈指の観光スポット。 そう、観光客もさることながら鳩の多さも半端ないのです。広場を歩くと鳩の群れが波のようになって一緒に進みます。文字通り「一…

ヴェネツィア小話 リドの海岸にて

リド島の海岸で初めてアドリア海を見たときのこと。 潟とは違うクリアな海とヴェネツィアの他の島にはなかった砂浜、水平線の遠くにはたくさんの大型船。島のこちらとあちら、わずか数百mしか離れていないのにまるで別世界でした。初めて見たアドリア海はな…