cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話

シエナ10 小史

トスカーナのこの一帯はどこの街もほぼエトルリア人の集落が起源といえるようです。シエナも同じでやはり最初にこの場所に集落を開き、街に発展させていったのはエトルリア人であることは、どうも間違いない。でも、古代エジプトやギリシア、ローマの人々と…

シエナ9 小話〜パリオの話

パリオ(Palio di Siena)の話 毎年7月と8月、このカンポ広場で「パリオ」が開催される。 パリオとはシエナの地区対抗で行われるの伝統的競馬のこと。開催日7月は聖母マリアがシエナに現れたとされる7月2日、8月は聖母昇天の次の日8月16日。この二日はカンポ…

ピサ小話 気持ちはわかるけど

Capisco i tuoi sentimenti, però.... この奇跡の広場には、奇跡の斜塔を見るために国籍年齢問わず大勢の人が来る。大抵の人は節度を持って奇跡の広場保護のためのルールは守るのですが、中にはそのルールを無視する人たちがいるのです。 この広場の特徴の一…

ルッカ小話 ルッカ会談を求めて

僕はルッカ会談の痕跡を求めてこの街に来たわけだけど、結局カエサルもポンペイウスもクラッススも誰の痕跡も見つけられなかった。ルッカ会談のルッカは別のところにあるのではないかと疑いたくなるくらい、何もなかった。 その代わりに知らなかったことをい…

ルッカ小話 ルッカ会談

実しやかに語り継がれる伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日に狼に育てられた双子の兄弟の兄ロムルスによって王国として現在のローマのパラティノの丘の上に誕生しました。そんな一部落のような小さな国だったローマが徐々に拡大、王国から共和国に代…

ルッカ小話 名画修復

名画の修復といえば以前、ミラノでレオナルドの最後の晩餐の修復現場を見たけど、その時絵は櫓に隠されて、修復作業そのものは見ることできなかった。 有名な修復といえばこの「最後の晩餐」やバチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「天地創造」「…

小話ダークサイド 目次

cafe mare nostrumは地中海世界を中心に、街の文化の魅力や歴史を伝えることをコンセプトに、言ってみれば良いところばかりを紹介してきました。 でも、旅行経験者であれば、旅とは決して、そんな良いことばかりではないし、綺麗なことばかりでもない現実を…

小話 ダークサイド #1 イタリアのチケット窓口

イタリアに限らないかもしれないし、いまはどうかもわからない。チケット窓口で何度か遭遇した、日本ではありえない出来事です。 駅、施設の入場券等々のチケット窓口でのお話。いくつもある窓口に大勢の人が列をつくり、並んでチケットを買おうとしている。…

ヴェネツィア小話 コーヒーの話

ヨーロッパに最初にコーヒーを持ち込んだのは17世紀ヴェネツィア商人と言われています。僕も日々愛飲してるコーヒーはヴェネツィアにもたらされ、やがて日本へと伝わりました。 そもそも、コーヒーの起源はエチオピアともアラビアとも言われていますがはっき…

ヴェネツィア小話 最後の食事

日が暮れてから、リアルト橋のすぐ横のレストランで、ヴェネツィア最後の食事をとることにしました。大運河沿いのテラス席に座り、高級なお店ではないけど、ロケーションはすこぶる贅沢。今何を食べたのか思い出せないけど、日本でいうお手軽な定食メニュー…

ヴェネツィア小話 ヴェネツィアとベネチア

「Venezia」、何と呼び、どう書くか大抵の人にとっては些細な、でも僕にとっては結構大事なお話です。 Veneziaは「ヴェネツィア」か「ベネチア」か、はたまた「ベニス」か? ベニス(英Venice)はないな。Veniceは多分大英帝国人が大分あとからつけた呼び名だろ…

ヴェネツィア20 夜のサン・マルコ広場

サンマルコ広場の夜の美しさはまた格別でした。 サンマルコ寺院や広場を囲う列柱廊のライトアップ。列柱廊の途中には、ところどころぶら下がるランプのようにカフェの明かりが強く輝く。 カフェには広場に面したステージが設けられ、お抱えバンドがいろいろ…

ヴェネツィア小話 カフェ・クアドリにて

ナポレオンが「世界の大広間」と絶賛したサンマルコ広場。 今では朝から晩まで観光客と鳩が大勢集う世界屈指の観光スポット。 そう、観光客もさることながら鳩の多さも半端ないのです。広場を歩くと鳩の群れが波のようになって一緒に進みます。文字通り「一…

ヴェネツィア小話 リドの海岸にて

リド島の海岸で初めてアドリア海を見たときのこと。 潟とは違うクリアな海とヴェネツィアの他の島にはなかった砂浜、水平線の遠くにはたくさんの大型船。島のこちらとあちら、わずか数百mしか離れていないのにまるで別世界でした。初めて見たアドリア海はな…

ヴェネツィア小話 ムラーノ島ガラス工房

ムラーノ島でふと立ち寄ったガラス工房兼ヴェネツィアン・ガラス屋。 ここではお客を前にルームライトの傘や、イルカの置物をジャンジャン作っていました。そのふいご捌き、細工の素早さは、それはもう見事でした。どこの世界も職人はすごいです。 坩堝でど…

ヴェネツィア小話 傾いている

ヴェネツィアでの僕の宿は、ため息の橋からすぐ近く。サンマルコ広場まで歩いて3分、すぐ出かけられるホテル・トロヴァトーレ。そしてここはこんな場所なのに財布に優しい。いろいろな意味で良いホテルでした。 おかげで僕は朝昼晩、夜明け前、深夜にサンマ…

欧州列車の小話 ヴェネツィアへの道

ある年に僕は、フィレンツェからいわゆるイタリアの新幹線「ユーロスター・イタリア」に乗りヴェネツィアを目指しました。 花の都から水の都へ。ルネサンスの街からこの世にふたつとない海に浮かぶ街へ。 この列車、イタリアの有名な車デザイナー、ジウジア…

ロミオとジュリエット小話

ヴェローナ⇨シェイクスピア⇨僕の住む街。 演劇とバラの花が有名というか、盛んというか。そういうところです。 最寄駅を出ると、地面にこんなのが埋まっています。 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のジュリエットがバルコニーで囁く有名なセリフで…

欧州列車の小話 車内オペラ

ここで綴るのはスイスのツェルマットからミラノへ列車で向かった時の貴重な思い出です。 *失意のツェルマット ミラノへの出発の日、ツェルマットは朝から雲が立ちこめ、最後にマッターホルンの姿を見ることはできませんでした。結局ツェルマット3日間の滞…

ミラノ小話 メモの価値

「メモ書き」が一枚1億円の価値をもち、「メモ書き」の展覧会が開かれると大勢の人がそれを見るために集まってくる。絵でも彫刻でもない、言ってみれば「ただのメモ」に大勢の人々が引き寄せられるのです。そう「ただのメモ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが…

ミラノとキリスト教

僕は無信仰、というか八百万の神様と生きていると思っているので、宗教に対しては常にフラットな立場でいます。それはこれからも変わらないでしょう。そんな中でも僕にとってのキリスト教は、ルネサンスはじめたくさんの時期と地域で才能ある芸術家たちを刺…

ミラノ小話 遠くて遠い最後の晩餐

レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」を見るまでに、僕はミラノに3度、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会には4度足を運びました。でも実際にこの絵としっかり対面できたのはたったの1度だけ。そのせいもあってか、僕はこの絵に対して、その世間一…

ミラノ小話  憩いのドゥオモ広場

ドゥオモ広場の写真を見てネオンギラギラの一角のあるこの広場がどうにも好きになれなかった。なんかヘンテコな形をしたゴシックの王道とは違う大聖堂もどうなのか?まだミラノを訪れる前、これが僕のドゥオモと広場に対する印象でした。 でも、実際にミラノ…

イタリア小話 イタリアへの道

当時イタリアは治安の悪い国として知られていたので、いつも緊張感とともにイタリアへ入国していました。入国方法はその時々でいろいろ。空路で直接イタリアに入ったり、ドイツから、スイスから、フランスから鉄道だったり、車だったり。 *スパイが如く 初…

シャモニ小話 トレッキング

アルプス観光の醍醐味は、壮大な自然に、手軽に誰でも簡単にアクセスできること。ロープウェイや登山電車が嘘のような場所まで万人を運んでくれる。手軽に登って、アルプスの大パノラマを堪能した後、手軽に戻ることもできるのだけど、よりアルプスの自然を…

シャモニ小話 氷河に立つ

僕はかねがね「いつか氷河の上に立ちたい、氷河をさわってみたい」と思っていた。だから遠く氷河の表面に人の姿を見つけたときは、迷わずそっちに向かって進みました。そして、ずんずん進んでいくと道が切れた。下を見下ろすとたくさんの人が氷河の上にいる…

シャモニ小話 ワンダーランド

アルプスのリゾートでは登山電車やケーブルカーが老若男女問わず万人、を富士山頂より高い標高まで簡単に連れて行ってくれます。 急な斜面もモノともせず、時には岩山をくり抜きトンネルを作ってまで登山電車を通し、時には絶壁のような岩壁の頂上に一本のケ…

シャモニ小話 パリ発シャモニへ

パリ・リヨン駅から夜行に乗ってシャモニへ向かいます。 僕は夜行列車に乗るときにはいつも通路側の窓から顔を出して列車の出発を待ちます。列車に乗り込み自分のコンパートメントに荷物を入れたあと、毎回儀式のようにそうしてるんです。この出発までの駅や…

小話 ハドリアヌス帝のコイン

新たにローマのコインを手に入れました。といってもレプリカ(よくできた偽物)です。2000年前の本物も欲しいけど、触って観察して眺めて、多少乱雑にあつかっても気にする必要もないところがレプリカのいいところ。 このコインはハドリアヌス帝を象ったデュ…

モン・サン・ミシェル小話  道

モン・サン・ミシェルと本土をつなぐ道ができたのは1877年。監獄としての役目を終え、修道院の活動を再開して間もない頃のことでした。その後、鉄道を通していた時期もあったこの一本道は、巡礼者も観光客も安全にモン・サン・ミシェルに行き来できる重要な…