cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ヴェネツィア 6 ドゥカーレ宮殿(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210626115346j:plainドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)

9世紀ころに外敵からヴェネツィアを守る城塞として、また総督「ドージェ」の邸宅として建てられたのがこのドゥカーレ宮殿の始まり。やがて行政、立法、司法の機能を併せ持つヴェネツィア共和国の中枢として、歴代ドージェによって進化していきます。

12世紀:ドージェ・ツィアーニが要塞として拡張。ほぼ現在の規模に

14世紀:ドージェ・グラデニーゴが会議場と公文書局を併せ持った宮殿へ

15世紀:ドージェ・ステーノが海側にゴシックの大窓を設け、また海側と小広場側の様式を統一。という具合に。

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現在見られる宮殿の姿になったのは1457年。共和国の経済力の増大に伴い拡大改築を重ね、共和国政府の中枢に相応しい、ヴェネツィア・ゴシックの傑作と言われる建物となったのでした。

*紙の時代のドゥカーレ宮殿のチケット

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一方で、内部はヴェネツィア共和国の力を誇示するために「各国大使に対する威圧」を目的とした重厚な装飾で覆い尽くされ、全体的に暗く重苦しい雰囲気が漂っています。

そしてドゥカーレ宮殿内部の最大の特徴は「油絵の洪水」。

政治にまつわるいくつもの部屋があります。十人委員会の間、元老院の間、謁見の間、羅針盤の部屋、緋色の部屋、盾の部屋、地図の部屋・・そこには壁や天井に所狭しと絵画に埋め尽くされています。それらはヴェロネーゼ(Paolo Veronese)、ティントレット(Tintoretto)、ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)、といったヴェネツィア派の画家達が描き込んだ絵がスペースを奪い合うように存在するのです。

その究極の部屋がここ「大評議会の間」

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宮殿最大の部屋。正面には1588-1590にティントレットが描いた世界最大(7 x 24m)の油絵「天国」。そのほか床以外のとほとんどが無数の油絵で埋め尽くされています。

 

「ドージェ」は大評議会によってヴェネツィアの名家から選ばれる終身職。共和制をしいたヴェネツィアでは権力集中と独裁を防ぐために様々な制約をドージェに課したと言います。ドージェはこの部屋で選出され、ヴェネツィアの統治を取り仕切り、全うするとドゥカーレ宮殿内に肖像画が掲げられます。ヴェネツィアが存在する限り「アドリア海の女王、ヴェネツィア共和国のドージェ」として永遠にその名前と姿が残るのです。

 

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ヴェネツィア 5 サン・マルコ大聖堂(サン・マルコ広場)

f:id:fukarinka:20210626115240j:plainサン・マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)

5つのクーポラをもつ独特なフォルムのサン・マルコ大聖堂。聖マルコ(新約聖書福音書記者)を祀るこの聖堂は、ビザンチン様式を基本としながら時代を経てゴシックやルネサンス様式が織り交ぜられた、オリエントとヨーロッパが融合した見事な建築です。

*生い立ち

ヴェネツィア人は国の格を高めるため「国の守護聖人」を探していました。ヴェネツィア商人を各地に派遣して守護聖人を探し求め、ついに828年、当時イスラム教に支配されていたエジプトのアレクサンドリアにある僧院に「聖マルコの遺骨」があることを突き止めました。聖マルコは福音書を記した聖人として十二使徒の次に格つけられ、ヴェネツィア守護聖人として申し分ない。二人のヴェネツィア商人は僧院から「聖マルコの遺骨」買い付け(密買)ました。密輸が発覚しないように聖遺骸はイスラム教徒が忌み嫌う豚肉に覆われ守られるように運ばれて、ついに聖マルコは何の縁もゆかりもないヴェネツィアに到着。守護聖人としてヴェネツィア人に熱狂的に迎えられたのでした。

サン・マルコ聖堂はその時から聖マルコの遺骨を安置するために建設が始まり、さらに11世紀の改築を経て、今の姿に完成したのは15世紀になってからでした。聖マルコは今もこの聖堂に眠っています。

またサン・マルコ聖堂は共和国総督(ドージェ/Doge)のための礼拝堂として位置づけられていました。寺院、大聖堂でありながら大司教座が置かれるようになるの19世紀になってからで、それまでの800年間は、ここには聖職者はおらず、ドージェが選ぶ「参事会員」と呼ばれる係によって管理されていたといいます。このこともヴェネツィアならではと言っていいかもしれません。

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ファサード

聖堂は正面に5つの門・アーチをもち、破風部分には「聖マルコの遺体の収容」の場面がそれぞれモザイクで描かれています。

 

サン・マルコ大聖堂には1204年、第4回十字軍遠征でコンスタンティノープルから持ち帰った質の高い「戦利品」が多数みられます。中央の門のアーチ上に見える「4頭の馬のブロンズ像」はその代表的な一つ。

この馬像は紀元前4世紀古代ギリシアの彫刻家リュシッポスによる作品。

それが後世コンスタンティノープルに渡り、

1204年に十字軍遠征時、当時のドージェ・タンドロが戦利品としてヴェネツィアに持ち帰り、サンマルコ大聖堂のファサードに置いた。

さらに

1798年にここを占領したナポレオンが、これまた戦利品としてパリに持ち去った。

そして

1815年オーストラリアの介入でヴェネツィアに返還された。

この馬像の歴史はちょっと複雑。現在本物は聖堂内に置かれ、外にあるのはレプリカです。

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*聖堂内部

ビザンチン様式の聖堂は中央の身廊、左右の側廊の長さが等しいギリシア十字の三廊式。五つのクーポラによる高さ28.25mの広い内部空間内部空間が広がっています。

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そして壁面は黄金のモザイク画で埋め尽くされています。

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クーポラの小さな窓から光が差し、黄金のモザイクを照らす様子は神々しい。

 

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 ヴェネツィア共和国は1381年キオッシアの戦いで宿敵ジェノヴァを破り、地中海の制海圏を手に入れます。そしてオリエントとの貿易で莫大な富を築いたヴェネツィアは、その象徴であるサン・マルコ大聖堂にもその富をつぎ込んだのでした。各地で得た豪奢な戦利品の修蔵、煌びやかな黄金と2000もの宝石をあしらった主祭壇の衝立、壁面全体をおおう黄金のモザイク画。

アドリア海の女王となったヴェネツィアの精神的支柱でありつづけるサン・マルコ大聖堂ヴェネツィアの繁栄と重なって、「黄金聖堂(Basilica D'oro)」となっていったのでした。

 

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ヴェネツィア 4 風景〜サン・マルコ広場「昼」

f:id:fukarinka:20210628004619j:plain 昼間のサンマルコ広場の様子

観光客の数もさることながら、鳩の数はまた想像を絶するものがあります。

広場を歩くとまるで鳩の海、または鳩の雲の中を行くが如く。鳩の群れを引き連れて進むような、踏んづけてしまうのではないかと心配もしながら広場を行くのです。
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鳩は子供達の恰好の遊び相手。あちこちで可愛い歓声が響きます。

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中には鳩に遊ばれちゃう子も。。

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 鳩の海に降り立つ天使。

海という表現、本当に波打つように鳩たちがうごめくのです。そんな海の中で過ごす子供たちはどの子も天使のよう。

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 サンマルコ広場の海側、小広場は鳩より人の海でした。

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ヴェネツィア 3 サン・マルコ広場

f:id:fukarinka:20210626021132j:plainサン・マルコ広場(Piazza San Marco)

ヴェネツィアでPiazza(広場)と呼ばれるのはサン・マルコ広場だけ。

正面にヴェネツィアの象徴「有翼のライオン」と「聖テオドーロ」の二つの円柱(Colonne di San Marco e San Todaro )が立ち、ヴェネツィアを訪れた人を迎えます。

サン・マルコ広場は、波打ち際の小広場と奥の大広場で構成され、宗教(サンマルコ寺院:右手奥)、政治(ドゥカーレ宮殿:右手前)、文化(図書館:左、博物館、時計台:一番奥)を集中させたヴェネツィア共和国の繁栄の中心であり、ヴェネツィアの心臓にあたります。9世紀に誕生して何度かの改築が行われ、ほぼ現在の姿になったのは15世紀ころといわれています。

18世紀末イタリア北部を手中にしたナポレオンがここを訪れた時、「この広場は世界の大広間だ」と絶賛したといいます。

*朝早いので人がとても少ない。

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 ヴェネツィアで買った絵葉書 海から見たサンマルコ広場の建築

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奥の大広場は長方形の広場に思えますが、空から見ると実は台形(奥へ行くほど狭く)になっていて、実際の大きさ以上に広く感じます。

*繰り返しになりますが早朝なので人がいなくて快適です

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やがて人々が動き出す時間になると徐々に賑やかになっていき、そして昼過ぎともなれば世界中から押し寄せる観光客と、それ以上の数の鳩でこの広場は埋め尽くされることになるのです。下の写真はまだ、朝。

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方形の広場にはいくつものカフェが並び、外では楽団の生演奏が響きます。ヨーロッパで初めて「コーヒー」を出したヨーロッパ最古のカフェ、カフェ・フローリアンもここにあります。

 

次回、日中のサン・マルコ広場の姿を。

 

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ヴェネツィア 2 海の玄関口(サンマルコ広場)

f:id:fukarinka:20210605170627j:plainかつてのヴェネツィア共和国の玄関口はサンマルコ広場でした。ヴェネツィアを訪れる外国人は、海から必ずここに上陸したそうです。

ローマ人の物語の著者塩野七生さん曰く「ヴェネツィアを訪れるなら船に限る」。海から眺めるヴェネツィアと徐々にせまるサンマルコ広場、その感動は計り知れない、と。

僕は列車でヴェネツィアに入ってしまったので感動の度合いは違うかもしれないけれど、その「海から」の雰囲気を少しでも味わおうと考えた。そんなわけで水上バス「ヴァポレット」に乗り、大運河をたどり、海からサンマルコ広場を目指したのでした。

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サンタルチア駅から大運河を、古く歴史ある、かつ斬新な建物を両岸に眺めながら進むとやはて見えてくるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ(Basilica di Santa Maria della Salute)のクーポラは大運河の終わりの目印。ここを抜けると広い干潟の海がひらけます。そして左手にはサンマルコ広場の鐘楼が見えてくるのです。

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そしてヴァポレットはサンマルコ広場の正面に出る。

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水上バスのヴァポレットですら、海からサンマルコ広場に入ることは、僕にとっては十分すぎるほど感動的でした。もし外海から船で入港でもしたものなら感動して気を失っていたかもしれません。

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右手にドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)、左手にマルチャーナ図書館が正面両脇に構えます。

サンマルコの象徴「有翼のライオン」と「聖テオドーロ」の二つの円柱(Colonne di San Marco e San Todaro )が訪れる人々を迎え、サンマルコ広場へと導くのです。

サンマルコ広場ヴェネツィア共和国に上陸です(という気分です)。

 

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ヴェネツィア 1 大運河

f:id:fukarinka:20210619225235j:plain大運河(カナル・グランデ/Canal Grande)は大小さまざまな船と優雅なゴンドラが行き交ういわば「メインストリート」。サンタ・ルチア駅からサンマルコ広場まで全長約4km、逆S字形にヴェネツィア本島をうねりゆく。

僕はヴェネツィアに着いて、まずサンタ・ルチア駅から水上バス(ヴァポレット)に乗って、サン・マルコ広場を目指しました。

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カナル・グランデの両脇には12世紀から18世紀に作られた、ビザンチン、ゴシック、ロマネスク、ルネッサンス様式の豪華な館が軒を連ねます。

ヴェネツィア建国当初は東ローマ帝国ビザンチン帝国)の支配下だったこともあり、もともと大運河両岸に連なる館はビザンチン様式でした。やがてヴェネツィアが地中海貿易を独占し、大運河が貿易港としても機能するようになると、オリエント貿易で得た大きな富がここ大運河に集まり、15世紀以降、大運河に面した建物は豪華、華麗さを競うようにルネッサンス、ゴシック、バロック様式に建て替えらました。それから500年、時間が止まったようにここの景色は変わっていないといいます。

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華やかな時代の名残。大運河は表情豊かに僕を迎えてくれました。

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ヴェネツィアの館は「ゴシック」「ルネッサンス」・・とは分類されるのだけど、実際はひと味違う。一つはビザンチン様式とイスラム様式の特徴が取り入れられていること。もう一つは水面に直接面した建物であることですでに、普通の建物とは違う。僕は大運河の建物の「水際」にとても惹かれました。玄関、桟橋、車庫ならぬ「艇庫」など水からのアプローチはヴェネツィアならではで、建物によりさまざまでした。

 

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大運河を水上バス(ヴァポレット)でサンタ・ルチア駅からサンマルコ広場へ向かうと、まるで建築博物館。それだけでもかなりヴェネツィアを堪能できます。今はこれら大運河に面した貴重な建物に人は住んでいないそうで、建物の保護、景観の保護のため人は生活していないらしい。でも夜になると人がいるかの如く明かりが灯ります。

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奥にサンタ・マリア・デラ・サルーテのクーポラが見えてきました。

カナルグランデが終わり、もうすぐサンマルコ広場です。

 

 

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ランデ(Canal Grand

 

e/大運河)ル・グランデ(Canal Grande/大運河)

ヴェネツィア 目次

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”海よ!ヴェネツィアは汝と結婚せり。永遠にヴェネツィアとともにあらんことを”

こう唱えて市長が黄金の指輪を海に投げる。毎年夏のキリスト昇天祭のあとに行われる「センサの祭り(Festa della Sensa)」でのヴェネツィアの「結婚の儀」。

「水の都」「アドリア海の女王」この世に二つとない海の上の美しい街は、海に守られ海に育まれてきました。そして毎年こうして海との絆を確かめるのです。

 

ヴェネツィアを空から見ると「たい焼き」の形をしています。水の都は「たい焼き」本島とその周り点在する100を超える島々から成ります。

そして本島の中心を逆S字の形にカナル・グランデ(Canal Grande/大運河)が横たわり、大運河に注ぐ大小さまざまな運河が巡り、それに400もの橋が渡され、ヴェネツィアの景色を作るのです。

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イタリア本土から一本の橋を辿って、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着し列車を降り、駅を出た僕を待ち受けていたものは。。。。。今まで見たこともない世界。

駅のすぐそこに運河が走り、船がポッポと走っていく。

街はある。建物もある。

でも道の代わりに水があり、車の代わりに船が走る。

アドリア海に面したラグーナに浮かぶこの街はすべてが僕の想像をこえていました。

あまりの不思議さに、第一声が「なんだここは!?」思わず笑ってしまいました。

これが僕のヴェネツィア到着第一歩でした。

ヴェネツィア上陸最初の風景

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さあ、ヴェネツィアの街へ

 

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