cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

マルケルス劇場界隈  目次

 マルチェロ劇場(Marccello)界隈のこの、フォロ・ロマーノとテヴェレ川の間に挟まれた地域も魅力的な遺跡・名所が並びます。

カンピドリオの丘をテヴェレ川の方へ抜けると、古代の劇場に競技場、神殿とテヴェレ川に浮かぶティヴェリーナ島、遺跡ではないけれど、ローマでは忘れてならないスポット「真実の口」 が現れるのです。

比較的静かに歩けるこの地域はローマの懐の深さを感じることが出来ます。

 

 

 

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パンテオン界隈 目次

パンテオン界隈では三つの重要な広場を中心に回ります。

いかにもローマらしい「全ての神々に捧げられた神殿」パンテオン2000年前の姿そのままに存在します。古代ローマでは戦車競技場だった美しいナボナ広場、ローマの領土を最大にして平和な帝国を築き上げた哲人皇マルクス・アウレリウスの記念柱(コロンナ)が立つコロンナ広場。いずれも美しく歴史深い場所です。

パンテオン

ナヴォナ広場

コロンナ広場

 

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フォロ・ロマーノ界隈 目次

フォロ・ロマーノ(Foro Romano)は古代ローマの時代、千年にわたり地中海世界の中心だった場所です。政治・経済・宗教といったいわばローマ世界のすべての中心。そしてローマが生まれた場所。

この界隈には歴史の教科書に出てくる重要な遺跡群とルネサンスの建築群、そして近代イタリア統一のモニュメントまでローマの歴史が凝縮されているのです。

 

 

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ローマ小話集

ローマにまつわるたくさんの出来事を

 

 

 

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ローマ 目次

「いずこの地もそれぞれ思い出深く、どこがもっとも心に残ったかを決めるのは難しく・・・・ローマです。何といってもローマです。」 

映画「ローマの休日」のラストシーン、オードリー・ヘプバーン扮するアン王女は記者団にこう答えました。

「永遠の都」ローマ。

2000年の昔、多くの民族、多く信仰が共存して、地中海を内海にしてしまうほどの大国家「ローマ」の首都として、その名の通り世界の中心となってもっとも華やかだった街。やがて国家ローマの衰えと入れ替わるように、ローマの中でキリスト教が生まれ育ち、キリスト教世界の信仰の中心となる。そして暗黒の中世を経てフィレンツェで花開いたルネッサンスを継承し芸術の中心となる。「永遠の都」とは栄華を誇った帝国「ローマ」の遺跡だけではなく、いろいろな時代を経て世の中の中心にとどまり続けたこの街の気質にふさわしい呼び名です。

時を経て、積み重ねられたローマの歴史や文化の深さは訪れる人々すべての欲求に応えてなお余りあるほど。かく言う僕はそのローマにどっぷりはまった一人です。

ローマを訪れる度に僕はトレヴィの泉へ背中越しにコインを投げ入れるんです。再びここに戻って来れるように。

これから少しずつ増やしていきます。

 

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ローマとこの人

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ローマ小話 初めての古代のコイン

随分前のことになりますが、ゴールデンウィークに豪勢な長期休暇をとってヨーロッパに旅行に行く友達に、ちょっとお願い事をしてみました。「古代ローマのコインを買ってきて」と。

当時聞いた話では「古代ローマのコインは遺跡からザックザック出てくるので、そんなに高価なものではない」という。そこで自分もぜひ一枚と考えたのがきっかけでした。

ただ、実際のところ相場も分かっておらず、今のようにネットで検索できる時代でもなかったので、わからないなりに予算を伝えてお金を渡し、「あわよくば共和制後期から帝政初期のころのもの。だめなら予算maxで買えるものを是非」と、ヴェネツィアサンマルコ広場にあるコイン屋の場所を地図を書いて渡してお願いしたのでした。

そして彼が旅立って約30日後、長い長いヨーロッパ縦断旅行を果たしたその友達は、ローマのコインを手に僕の前に現れた!!

彼が僕に買ってきてくれたのは、
AD337年~350年にローマ世界3分割時代の皇帝の一人コンスタンス(Flavius Julius Constans)のもの。キリスト教を国教に定め、首都をローマからコンスタンティノープルに移した「大帝」コンスタンティヌス1世の4男のコイン。

古代ローマのコインを受け取り、26日間ものヨーロッパ放浪で日に焼けた彼と、GWの日曜大工で日に焼けた僕がっちり握手をかわしたのをよく覚えています。

実際にコインを手にすると、これが1700年も前にローマ帝国中を巡って、たくさんのローマ人の手から手へと渡ってきたのだと考えたら鳥肌がたってきた。これを直接に手にしたとき、1700年もの時を経てローマ人と握手を交わしたような、そんな感覚が湧いてきたのでした。

いまでも古代のコインを触っていると同じように感じる時を超えるような感覚は、遺跡に直接触れた時のような、いやそれ以上の感覚。遺跡よりももっと身近に古代ローマを感じることができる、なんとも言葉にするのが難しい感覚なのです。まあ、ただの妄想にすぎないかもしれません。このコインは我が家の家宝となり今に至ります。

ところで、僕が一番ほしかった、共和制後期から帝政初期ころのローマのコインは、現在でもやはり桁違いの価値があり値段も桁違い。カエサルアウグストゥスのものとなれば100万円近い値がつく。そういう市場価値の高いコインにも憧れるけれど、そういう価値のあるものは博物館に保管してもらって時々見れれば良い。手元に置くのは一般のたくさんのローマ市民が扱ったであろう、今回友人が買ってきてくれたコインがいい。

 

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小話 ユリウス・カエサル

これから"cafe mare nostrum"は「ローマ」へ進んでいくのだけど、そこで触れたい人物がいます。それは、

ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)。

古代ローマ(ヨーロッパ世界)の英雄であると同時に、歴史的にも地勢的にも広く長く人類史に影響を及ぼした人物ではないかと思います。

僕がヨーロッパを旅し始めた頃は、建物以外、さしてヨーロッパに興味があった訳でもなく、ましてやローマ史のことなんて一般常識以外ほとんど知りませんでした。ところが実際に「永遠の都」ローマを訪れてからというもの、ローマへの興味が日に日に、年々高まっていったのでした。なぜかといえば、壮大な帝国の首都ローマの遺跡に感銘を受けて、その後訪れたヨーロッパ各地どこに行ってもだいたい存在するローマの遺跡。〜なぜこんなところに?という疑問が溢れました。調べていくと僕が何年かかけて巡ったヨーロッパの国々は、実はローマ全盛期にはローマという一つの国だったことを知ります。〜かつて地中海をすっぽり覆うほどの「ローマ」という国はいかなるものか??〜なぜ、飛行機もインターネットもない時代、あれだけの広大な地域をどうやって統治できたのか?そしてローマの遺産にふれるとたいてい耳にする(目にする)「カエサル(CAESAR)」の文字。〜なんだ?このCAESARって!?

インターネットがまだまだ万能ではなかった時代、「カエサル」に関する情報集めには本屋に向かいました。すると意外と「ユリウス・カエサル」をあつかったものが見つからない。そこで最初に手にしたのが、あろう事かシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」だった。ユリウス・カエサルラテン語読み)を英語読みにすると「ジュリアス・シーザー」となるので、とっかかりにつかんだ本だったのだけど、「シェイクスピアジュリアス・シーザー」といえばたいていの人は名前を聞いたことがあるだろうシェイクスピアを代表する悲劇。内容はといえばカエサルを暗殺する加害者側のドラマでカエサルに関してはほとんどふれられていない。よって、カエサル自身に関してはほとんど何も分からない。

次に手にしたのが「ガリア戦記」。これはカエサル自身が紀元前58-51年の約8年間に及ぶガリア(現フランス周辺一帯)遠征を行った際の本人による記録。しかし、これはただの記録ではなく、ラテン文学の名文として今でも世界各国で翻訳されているほどの名著とされていて、「戦記」というより「古典文学」として残っている。日本の書店では「ガリア戦記カエサル著」として普通に並んでいる。2000年も前の人物の著作が現代の作家の作品の隣に並べられているなんて不思議です。

カエサルの記した文章」でガリア戦役8年間の出来事を知ることができたのは良かったけれど、これもカエサルの人生のうち、ほんの8年間の出来事にすぎず、当時の僕には満足行かなかった。

その後いろいろな本屋をのぞくも、なかなかカエサルについて詳しく記されたものが見つからなくて悶々としていたある日、忘れもしない仕事に向かう電車の中である新聞広告が僕の目に飛び込んできたのでした。

「なぜ、カエサルか?ローマ人の物語 第4弾! ユリウス・カエサル ルビコン以前 塩野七生

何!!「なぜカエサルか?」!?

ローマ人の物語Ⅰ~Ⅲ」はそれまで存在は知っていたけれど、当時はまだ手を出せずにいました。ローマ史に興味はありつつも、まだ本腰が入っていなかった僕には、1冊3000円という「ローマ人の物語」のシリーズは敷居がとても高かった。

しかし、この「ユリウス・カエサル ルビコン以前」が出たときは、高かろうが、厚かろうがそんなことより「知りたい」欲求が勝ってすぐに本屋に走りました。この「ローマ人の物語」ではユリウス・カエサルについて、彼の人生でもっとも重要な「ルビコン川を越える」場面でその生涯を区切り、2巻約1000ページにわたって人間ユリウス・カエサルが語られている。

これ以降「ローマ人の物語」シリーズは僕の「超」愛読書となって全15巻にわたるローマ人の通史を読破することになるのです。ちなみにローマ史について誕生から滅亡までの「通史」を書いた人は歴史上、塩野七生氏の他にいないそうで、ローマ人の物語は、史上初めてのローマ通史となったそうだ。それが歴史学者でもない日本人の作家の手によるというのは、いかにもローマ的ですばらしい。

当時僕はこんなことを書いていた。

「第4、5巻で語られるカエサルという人物は、偉大なだけでなく、とても魅力的な人物であることがわかってきた。だから2000年後の今でも英雄として扱われる以上に、”身近な人”としてローマ世界に名前が出てくるのです。僕は1度では飽きたらず、2度、3度読み返していくうちにちょっとずつ、カエサルを知り、理解することができているような気がします。ただ、カエサルをもっと理解するには後2,3回読み直し、さらにローマへ出かけることが必要だろう。」

僕はこうしてカエサルにはまり、ローマ史にはまっていったのでした。その興味はつきることなく気がついたら20年以上もの間、ローマに憧れ、ローマやカエサルに学び過ごしてきました。そして僕のカエサルとローマへの欲求は未だつきることなく続いている。

当時20代後半でカエサルの人生をたどりその魅力は十分理解しても、実際に50代のカエサルが成したこと、なぜそれが50代だったのかは今ひとつピンと来なかった。今はなぜカエサルが40にして立ち、50代に大事業を成し得たのか理解できる。

そんなわけで、これからローマを辿る中で「ユリウス・カエサル」に、僕の視点で触れていきたいと思います。この20年でインターネットの世界は大氾濫して、カエサルについても星の数ほどのWebページが存在します。僕は僕の視点でカエサルを知らない人のための、カエサルへの入り口となれるようなものを作りたい。自分が最初にカエサルを探したときに「あればいいな」と思ったようなそんなものを。

 

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