cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

2021-01-01から1年間の記事一覧

シャモニ風景 道すがら

シャモニの大自然の姿を cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com

シャモニ小話 トレッキング

アルプス観光の醍醐味は、壮大な自然に、手軽に誰でも簡単にアクセスできること。ロープウェイや登山電車が嘘のような場所まで万人を運んでくれる。手軽に登って、アルプスの大パノラマを堪能した後、手軽に戻ることもできるのだけど、よりアルプスの自然を…

シャモニ風景 氷河

表情豊かで雄大なメール・ド・グラス(氷海)の氷河の姿を。 氷河を行くハイカーたち 氷河の奥に向かって進む人。 奥に白い氷原が見えます。あそこに行ってみたかった。 谷の上から。深い青をのぞかせるクレバス cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.h…

シャモニ小話 氷河に立つ

僕はかねがね「いつか氷河の上に立ちたい、氷河をさわってみたい」と思っていた。だから遠く氷河の表面に人の姿を見つけたときは、迷わずそっちに向かって進みました。そして、ずんずん進んでいくと道が切れた。下を見下ろすとたくさんの人が氷河の上にいる…

シャモニ4 メールドグラス

早朝散歩の後、シャモニの街外れから出る赤い登山電車に乗り、モンタンヴェールを目指しました。ここにはフランスで一番大きな氷河「メール・ド・グラス(Mer de Glace 氷海)」が間近に迫り、氷河に触れることができる、そういう場所。モンブランの裾野のジ…

シャモニ風景 朝

シャモニの朝です 山の上の方だけ陽が当たっています。ボソン氷河、すごい。 針峰群の刃先の間を朝日がすり抜けます 街は朝で人がいなくても、バルマの像はひたすらモンブランの山頂を指差し続ける。 街はまだ暗い。教会もまだ暗い。 アルブ川とモンブラン …

シャモニ小話 ワンダーランド

アルプスのリゾートでは登山電車やケーブルカーが老若男女問わず万人、を富士山頂より高い標高まで簡単に連れて行ってくれます。 急な斜面もモノともせず、時には岩山をくり抜きトンネルを作ってまで登山電車を通し、時には絶壁のような岩壁の頂上に一本のケ…

シャモニ風景 モンブラン

いろいろなモンブランを眺めてみます エギュイーユ・デュ・ミディからいわゆるこれが、よく知られるモンブランの姿。 バレブランシュから眺める、シャモニの裏側からみるモンブラン。だいぶ「魔の山」。 イタリア国境エルブロンネルからのモンブランとキリス…

シャモニ3 エルブロンネル

エルブロンネル(Herbronner) エギーユ・デュ・ミディから赤いテレキャビンに乗り、イタリア側の展望台、エルブロンネルへ向かいます。4人乗りのテレキャビンは3台が一組になって移動する。広大な雪原ヴァレ・ブランシュの上を、荒々しい山々の間を所々止ま…

シャモニ2 エギュイーユ・デュ・ミディ

標高1035mのシャモニの街から、2つのロープウェイを乗り継いで一気に3842mの富士山より高いところまで僕たち観光客を引き上げてくれる。 ほかのアルプスリゾートと同じく、本当なら重装備で何時間もかけて登っていかないとお目にかかれない絶景が、軽装で、…

シャモニ1 アルプスの街

シャモニ・モンブラン(Chamoix Mont-Blanc)は、その街の名前にもあるように、ヨーロッパ最高峰モンブラン(Mont-Blanc 白山 4807m)の麓の街。マッターホルンにツェルマット、アイガーにグリンデルワルトといったように、モンブランにはシャモニ。自動車は禁止…

シャモニ小話 パリ発シャモニへ

パリ・リヨン駅から夜行に乗ってシャモニへ向かいます。 僕は夜行列車に乗るときにはいつも通路側の窓から顔を出して列車の出発を待ちます。列車に乗り込み自分のコンパートメントに荷物を入れたあと、毎回儀式のようにそうしてるんです。この出発までの駅や…

シャモニ モンブラン 目次

シャモニ モンブラン(Chamonix Mont-Blanc) ヨーロッパ最高峰”モンブラン”の麓に位置し、モンブランへの観光拠点と登山の基地として世界中から人が集まります。これからしばらく、シャモニとモンブラン山群の出来事を綴ります。 cmn.hatenablog.com cmn.hate…

小話 ハドリアヌス帝のコイン

新たにローマのコインを手に入れました。といってもレプリカ(よくできた偽物)です。2000年前の本物も欲しいけど、触って観察して眺めて、多少乱雑にあつかっても気にする必要もないところがレプリカのいいところ。 このコインはハドリアヌス帝を象ったデュ…

モン・サン・ミシェル 風景 〜石の聖堂

誕生から1300年、人々を魅了し続けるモン・サン・ミシェルの姿を。 海に浮かぶ修道院。その神秘的な姿を言い表すために、人々は必死に言葉を探すのです。 人々を飲みこんだ魔の海。満ちてくる潮は馬の疾駆に喩えられ恐れられました。 「驚異」と命名された建…

モン・サン・ミシェル小話  道

モン・サン・ミシェルと本土をつなぐ道ができたのは1877年。監獄としての役目を終え、修道院の活動を再開して間もない頃のことでした。その後、鉄道を通していた時期もあったこの一本道は、巡礼者も観光客も安全にモン・サン・ミシェルに行き来できる重要な…

モン・サン・ミシェル 風景 〜花と鳥

モン・サン・ミシェルは自然の中にあり、修道院の建物も鳥や草花とともにあります。そんなモン・サン・ミシェルの姿を紹介します。 無骨な石が積まれた建物の壁、その建物のあちこちで鳩の姿を見かけます。 なんの穴かわからねど、ちょうどいいサイズに鳩が…

モン・サン・ミシェル 6  ラ・メール・プーラール

ラ・メール・プーラール(La Mère Poulard)はモン・サン・ミシェルに入ってすぐ王の門の手前にあるホテル・レストラン。名物のオムレツがとても有名です。 ラ・メール・プーラールの発祥は19世紀に遡ります。 15世紀からモン・サン・ミシェルは牢獄として使用…

モン・サン・ミシェル 小話 潮が満ちて

モン・サン・ミシェルを包む干潟は干満の差が15m以上とも言われ、時間によって周囲の景色がずいぶん変わります。本土と繋がる道などなかったその昔は干潟を渡って修道院に向かう巡礼者が何人もが満ち潮に飲み込まれて命を落としたと言われ、ここは「魔の海」…

モン・サン・ミシェル 5 歴史

ノルマンディの街アブランシュ(Avranches)の司教オヴェールの夢に大天使ミカエルが現れこういった。 ”かの岩山に我が名を讃える聖堂を建立せよ” オヴェールはそれが信じられず、夢に従わずにいると、大天使ミカエルは3度オヴェールの夢に現れ指先から放たれ…

モン・サン・ミシェル 4 ラ・メルヴェイユ 

1204年のフランスとイギリスとの間で起こった百年戦争でモン・サン・ミシェルは火を放たれ、修道院北側の建物は焼け崩れてしまいました。その後資金難や修道院内の内紛などで遅れた再建工事が1211年に始まります。それから約17年という驚異的なスピードで完…

モン・サン・ミシェル 3 大修道院教会

ノルマンディの街アブランシュ(Avranches)の大司教オヴェールの夢に、大天使ミカエルが現れこう言いました。 ”かの岩山に我が名を讃える聖堂を建立せよ” 最初オヴェールは信じられずに夢に従わずにいると、大天使ミカエルは3度オヴェールの夢に現れました。…

モン・サン・ミシェル 2 街並み

モン・サン・ミシェルには街があります。8世紀にここに最初の礼拝堂が建てられ、10世紀に修道院が誕生したときから、この小さな街はモン・サン・ミシェルとともにあるのです。島をなぞるように修道院へ続く細い道に沿って形作られた街で、巡礼者も旅行者も旅…

モン・サン・ミシェル1 到着

パリからレンヌまでTGVで行き、そこからバスでモン・サン・ミシェル(Le Mont Saint-Michel)まで、パリから片道3時間以上の旅になります。たくさんの観光地があるフランスの中でも特別な景観で迎えてくれるここは、こんな行きずらい場所にもかかわらず大勢の…

モン・サン・ミシェル 目次

モン・サン・ミシェル(Le Mont Saint Michel)の姿を初めて見た人は、その昔から、その感動を精一杯の言葉を探して表現しようと試みてきました。 「夢の宮殿の如く驚異的で、信じがたいほど美しい」 「奇観」 「海に浮かび、空を貫くようなそのシルエットは、…

モネ小史

モネ(Cloud Monet 1840-1926)の生涯を彼の作品と一緒に辿ってみます。 *マネによるモネ 1840年 パリに誕生 1845年 5歳 ル・アーブルへ移住 食料品商と船具商を経営する父とアマチュア画家の母のもと裕福な暮らしていました。モネは学校の教科書にたくさんの…

空と雲と この空は何?

不思議な空 合成写真のような本物の空です。 夕暮れ時、下のほうのそらは黄色く染まっている普通の雲の景色。そしてその上にグレーの薄い雲がかかっているのか全く別の空間があわさったような空でした。 別の日、別の航路でも同じような景色が。同じように下…

ジべルニー 水の庭園

1893年にモネは花の庭に面した道路の向こう側の土地を買い足し、元々そこにあった小さな池を拡大して新たな庭を作ることにしました。「水の庭」です。 水の庭にもモネは様々な草花を植えていった。中でも水に浮かぶ睡蓮はモネの創作意欲を生涯刺激し続けるこ…

ジベルニー 花の庭園

パリから電車で40分。ヴェルノン(Vernon)という駅で降り、そこから更にバスで15分。ノルマンディーの中でもパリに近い場所、セーヌ川沿いにジべルニー(Giverny)という小さな村があります。クロード・モネがここに居を構えたのは1883年のことでした。それ以来…

ルーアンとモネ

僕がルーアンを訪ねたのはルーアン大聖堂のモネを確かめたかったからでした。モネは1892~1893年の数週間をここルーアンで過ごし、30点以上に及ぶ「ルーアン大聖堂の連作」を描きあげていきます。 モネは1872年に「印象、日の出」を描いて以降、印象派として…