cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

イタリア

カエサル 25 アレクサンドリアで、

「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」 "Alexandriae de Pompei morte cognoscit" カエサルがアレクサンドリアに到着すると、カエサルのもとには香油漬けになったポンペイウスの生首が届けられたのでした。そのときカエサルは涙を流した、と後世…

カエサル24 東へ!

カエサルはブリンディシからギリシアへ渡り、歴史に刻まれる2つの戦いを展開します。現代に生きる僕たちは、この出来事について当たり前のように、カエサルが勝ち、ポンペイウスが負けた歴史として知っているわけだけど、紀元前48年の当事者にとっては、カエ…

カエサル23 静かな逆転

ローマ世界西側の制覇行でヒスパニアを平定した後、カエサルは海路マッシリア(マルセイユ)に再訪して、揉めに揉めていたこのギリシア人の街を服従させます。これによってカエサルは当時のローマ世界の西側を手中にしました。護民官クリオを派遣した北アフリ…

カエサル22 西へ!

ポンペイウスがイタリア半島を去った時点で、カエサルは次の地域を手中にしました。 ローマ本国(イタリア半島)、前執政官としての担当地域のイリリア(ユーゴスラヴィアやクロアチア周辺)、ガリア全体、ブリタニア。 ローマ本国を手中にして広大な地域を…

カエサル小話 自分の考えに忠実に

カエサルは内戦を通じて、これを「人間世界の悲惨」にしてはならないと考えていました。なので自軍の兵に対して、降伏した相手には危害を加えず、勝敗決した後も街や人々に対しての略奪行為は一切禁止して、元々同胞であるローマ人の命はもちろん街や財産も…

カエサル21 内戦の開戦

紀元前49年1月12日、賽が投げられた後のカエサルの行動は早かった。「決断した後は断交あるのみ」という現代の辞書にある通りローマ本国へ迷いなく進軍します。 カエサルはガリア戦記と同じく、内乱記という形でその一部始終を書物に書き残しますが、同胞で…

古代ローマ小話 ルビコン川

カエサルが意を決して渡ったルビコン川は、トスカーナを流れアドリア海へ注ぐとても小さな川。と、いわれている。アドリア海に面した街、リミニのすぐ北のあたりに、現在ルビコーネと呼ばれる川が流れていて、これが当時のルビコン川である可能性がとても高…

カエサル20 賽は投げられた

元老院最終勧告 ガリア戦役が終わると「反」元老院が明らかになったカエサルに対し、元老院派は攻勢を強める。三頭の一角ポンペイウスを取り込んだ元老院派はクラッススも失ったカエサルに対して、様々な妨害を仕掛け、露骨にカエサルを失脚に追い込もうとし…

カエサル19 首都の変化

ガリア戦役開始当初は密かに、秘密裏に行われた三頭政治も戦役3年目あたりからは周知の事実となりました。元老院派の議員たちはいつの間にやら自分たちの知らないところで国政が動いていたことに怒りと焦りを覚えたでしょう。そしてガリア戦役が終わるまでロ…

カエサル小話 今年の3月15日

今年も3月15日がやってきた。今日は8年前他界した父の葬儀を行った日であり、西洋世界の英雄で、僕にとっても、とても身近な存在であるユリウス・カエサルが暗殺された日です。ヨーロッパ人ならほとんどの人が3月15日と聞いたらカエサルが暗殺された日と認識…

カエサル 18 「ガリア戦記」

その見事な文章から、現代においても「文学作品」として普通に本屋に並ぶ、カエサル著「ガリア戦記(Commentarii de Bello Gallico)」。 紀元前58年から8年間に及ぶカエサルのガリア遠征、その最中に本国ローマに対して、戦役の報告書として書き送られたのが…

カエサル17 ガリア戦役 ヴェルチンジェトリクス

ガリア戦役7年目のドラマは、後の時代に生きる人にとってはローマの勝利という結末のわかっている話であり、ワクワクして歴史を辿りながらも知っている結末に向かってその叙述もできるわけだけど、当時その現場にいた当事者でるローマの軍団兵は薄氷をふむ思…

カエサル16 ガリア戦役 暗転

紀元前54年の冬 例年戦闘のできない冬の時期、軍団は一箇所の冬営地に集まりガリアの地で越冬します。その間カエサル自身は南仏属州あたりの、本国との境目付近にもどって首都ローマに対して様々な指示をだしていたのでした。ところがB.C.54年の冬に差し掛か…

カエサル15 母の死、娘の死

B.C.55年7月ガリア戦役の最中にカエサルは母を亡くし、翌B.C.54年8月に娘を亡くします。ガリア戦役の最中、カエサルはローマに戻ることもできず、カエサルは二人の死に目に遭うことも、弔ってあげることもできなかった。公私を明確に切り分けていたカエサル…

カエサル14 ガリア戦役 イギリス〜ドーヴァー海峡横断

B.C.55年、カエサルがもう一つ行った大事業とは、ドーヴァー海峡を渡りブリタニア(イギリス)に上陸したこと。これもまたローマ人初の出来事でした。 ゲルマンの地でゲルマン人や北部ガリアの諸部族に反ローマの支援を行っているのがブリタニアにいる民族であ…

カエサル13 ガリア戦役 ドイツ 〜ライン渡河

ガリア戦役4年目(B.C.55年 カエサル45歳) カエサルはこの年、二つの大きな仕事を成します。 一つは対ゲルマンでの出来事。 前年のルッカ会談で合意したであろう通りに首都ローマでポンペイウスとクラッススが執政官になり、それぞれのプロコンスルとしての任…

古代ローマ小話 人質の話

ローマは周辺諸国との戦争に勝利すると、敗者である国や部族から人質(ラテン語 obses)をとってきました。人質というのは奴隷と違い、国のトップ、有力者の子息である必要があります。一般的な意味合いとしては敗者の有力者の子供達を勝者の地に置くことで、…

カエサル12 ガリア戦役 フランス大西洋岸

ガリア戦役3年目(B.C.56年 カエサル44歳) 現フランス北西部ブルターニュ地方にはヴェネティ族がいました。ヴェネティ族は大西洋岸一帯では最も勢力のあるガリア部族で、優れた海軍をもち、ブリタニアとの親交もあった。一度ローマに対して恭順の意を示したも…

カエサル11 ガリア戦役 ベルギー

ヘルヴェティ族(スイス人)の移動による混乱を防いだあと、ガリアの部族長によってゲルマン問題の詳細を知ったカエサルはB.C.58年に冬営に入る前にゲルマン人と対峙して、現在のライン河をローマ世界とゲルマン人の境界とすることに決めます。 ガリア戦役2年…

カエサル10 ガリア戦役 スイス

ガリア戦役 1年目(B.C. 58年 カエサル42歳) ガリア戦役は今でいうところのドイツ人がスイスに侵入してきたことをきっかけに始まります。ガリア戦役一年目のこの年、現在のスイス人との争いが主な出来事でした。 当時トランサルピーナ(アルプスの向こう側)と…

カエサル9 ガリアへ

前執政官(pro-consul)となったカエサルの任地ガリアとは、現在でいえばスイス、フランス、ベルギーといった地域を指し、100を超える部族が乱立し広大な湿地帯の広がる未開の地域でした。ガリア戦役とはカエサルとローマ軍団による8年に及ぶガリアの征服行で…

カエサル8 はじめての執政官

「執政官(Consul)」とは共和政ローマにおける最高官職。任期は1年、毎年2名の執政官がローマの政治を取り仕切っていました。 B.C.754年、王国ローマが誕生したときに建国の王ロムルスは国の政体を「王、元老院、平民集会」の3つにすることを決めました。ロ…

カエサル小話  ”見たいと思う現実しか見ていない”

~カエサルの言葉~ 「人間誰しもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと思うことしか見ていない」 ”Fere libenter homines id quod volunt creduunt”誰でも、都合の悪いこと(見たくない現実)には目をそむけてしまいます。無意識のうちに現…

カエサル7 三頭政治

昔歴史の教科書に載っていた三頭政治(Triumviratus)という言葉。歴史を学校で学んだ(はずの)当時、全く意味を理解していなかった。歴史とは組紐が如く、もつれて繋がりをもって時が過ぎ、さまざまな小さな出来事が因果応報重なって大きな出来事へ流れていく…

ローマ小話 朝のローマ散歩

ミラノ経由の飛行機でローマ入りした時、ローマのホテルに到着したのは夜の10時頃。この年は雨と雷と時差ボケとローマについた期待感と興奮でなかなか眠れず、その夜は一睡もできませんでした。 ずーっと続いていた雷と雨音の轟音が徐々に収まってきて、静け…

カエサル6 カティリーナの陰謀

紀元前63年のこの年、カエサルは37歳で最高神祀官(Pontifex Maximus)になります。「最高神祀官」はローマの宗教に関する最高責任者で、ローマの官職のなかで唯一定員がひとりだけ、しかも終身職で他の官職との兼務OKという特殊な位置付けがされている。カエ…

カエサルと "借金”

海賊に囚われた時には50タラント(約50億円)もの身代金を従者に借金に走らせたり、按察官時代に行った二つの大事業を自費で行ったり、この時期、35歳にしてカエサルの借金は既に膨大な額でした。さらに生涯かけてカエサルは天文学的な数字の借金をすることに…

カエサル5 民衆派として立つ

立つカエサルはB.C.65、35歳の時に按察官(エデイリス / aedilis)に就任します。按察官とはローマの公共施設の管理や祭儀の管理を行う官職でした。 カエサルはこの年、この官職を利用してローマ街道の補修と剣闘士試合開催という二つの大事業を行います。しか…

カエサル4 海賊の人質

若い時期のカエサルを語る時、よく取り上げられるエピソードがあります。プルタルコス(Plutarchus A.D.46-119)の「対比列伝(Vitae Parallelae 英雄伝)」などに記される有名な話「カエサルが海賊に囚われた」を。 スッラの死後ローマに戻ったカエサルはいわゆ…

カエサル3 カエサルから見たスッラの粛清

カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。 カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行っ…